わたしは、過去生から持ち越してきた色濃い課題がある
正確には過去生から持ち越してきたというより
今世では真逆の人生を生きる設定になっているので
「課題」になっているだけだけれども
わたしは無意識だけど、今でも数秘4の色が強く出ている
過去生で最低一生分は数秘4をやってきたので
それも相当厳しい環境の中でやってきたようなので
それはもう、魂の習性として相当なほど身に染みついて
一年や二年で簡単にガラッと数秘5に切り替われるものではないだろう
もちろんわたしは今世でその特性から卒業するからといって
過去生を懸命に生き抜いてきた自分を否定するわけでは全くない
当時はおそらく、命を懸けて、真面目にきっちりかっちりせざるを得なかった厳しい状況の中で
一生懸命数秘4をやってきたのだから
そこに何も間違いはなかったし、本当にしっかりと生きてきた証であって
わたしはその生において、最善を尽くしたと思う
だからこそ、今世の運命数・使命数・究極の課題数すべてが「5」になるほど
4から5への切り替えは
もしかしたら一生をかけるくらいの大きなテーマなのかもしれない
頭の回転が早いというのは
現実的に必ずしもプラスになるわけではなく
これも諸刃の剣なのだ
少しでもゼロポイントからズレてしまうと
瞬く間にありとあらゆる方向に勢いよく転がってしまう
じゃあ何で未だにゼロポイントからズレるようなことが起こるのかというと
「肉体を持っていること自体がカルマ」
というのは、多少の慰めにはなるけれど
わたしにとっての本質は、今はそこじゃない
ひとつ辿り着いた答えは
数秘4という、過去生から持ち越してきた「魂の習性」だ
基本的になんでも事前に知りたがって
「準備周到」で「想定内」で「計画的」にやろうとする
そうすることでマインドが「安心」を覚える
けれども、物事がもう時系列には進まない風の時代とは
相反する習性だ
だから、計画通りに行かないととても焦りが出るし
完璧主義が発動して、一体どこに問題があるのかすぐに分析にかかろうとするので
頭をフル回転させれば当然ネガティブな方向にしか回らない
おそらく過去生から「分析大好き」な習性を持ってきたけれど
いくら思考をめぐらせても
本当に欲しかった答えには辿り着かない
ならもう、考えるのをやめるのだ
考えるのをやめて
自分の人生にサレンダーすればいい
もう、「自分のどこが足りなかったのか」とか
「どうしてパラレルを踏み外したのか」とか
「計画通りに行かなかった」部分を、延々と分析しなくていい
なぜなら
分析しても答えは出てこないし
答えはちゃんと
必要なタイミングでわかるようになっている
わたしが今世で最も大切にしたかったものは何だろうか
それは
たくさんの「体験」と「感情」ではないだろうか
そしてそれを
人に伝えていくことではないだろうか
数秘5の驚くほど飽きっぽい性分は
今世で本当にいろんな物事を体験しにきたことを物語っている
HSPとエンパスという個性や、元々感情の振り幅が大きいのも
本当にたくさんの感情を味わうために備わっているのではないだろうか
「宇宙存在は、地球でしか味わえない『感情』の豊かさを
とても尊いものだと思っている」
と、つい最近どこかで読んだ記事が、とても印象に残っている
けれども
たくさんの「体験」と「感情」を大切にするというのは
言うのは簡単だけれど
相当な覚悟が要ることだ
なぜならそれは
苦しいことも
楽しいことも
陰の体験も
陽の体験も
エコ贔屓せずに
すべてを体験し尽くすということだからだ
だから「浮き沈みが激しいジェットコースター人生」で
ずっと「とても人使いが荒い人生」だと思ってきた
「上昇」が「良い人生」で
「下降」が「良くない人生」かのような
刷り込みが強かったのもあるし
好き好んで「陰」の体験をしたがる人は
滅多にいないだろう
けれども
「自分の宇宙を信頼する」というのは
目の前の事象はすべて「完璧で無駄がない」と
本当にあるがままに受け入れるということだ
わたしにとって本当の意味でのサレンダーとは
大いなる愛から逃げ回るのをやめることでもなく
真我に降参することでもなく
「自分の人生設定に降参する」ことなのかもしれない
もちろん、そこに至るまでありとあらゆる手を尽くしていい
そうでもしないと本当のサレンダーはできない
「人事を尽くして天命を待つ」
といったスタンスだろうか
人生の目的がそもそも、たくさんの体験をしにきたのだから
例えそこに一見「損失」のように思われることがあっても
それは決して「無駄」なことではなく
ちゃんと「成長」を伴っている
やるだけやったら
自分に「お疲れさま」と言って
あとは思考停止して
トランス状態をエンジョイして
委ねるだけ
そんな感じで
とにかくたくさんの経験をして
たくさんの感情を味わって
肉体が終わる頃には
「この人生相当大変だったけど、体験できて本当にありがとー!」
というような感じで人生を終えるのだろうか