瀬戸内海をバックにした下の写真は前列右端に龍力の本田武義会長、その後方は同社眞一郎社長の他はマスコミの面々。朝日新聞、日刊スポーツ、読売新聞、毎日新聞、TBSなど。今では物故者も多くなったが、「名月を肴に国宝姫路城の庭で姫路の美酒を飲む会」に参加した面々である。龍力の本田会長の左には映画監督だった加藤泰氏、その左に放送作家協会理事長だった阿木翁助氏、その背後に立っているのが私だが、加藤、阿木両氏とも鬼籍に入られて久しい。 この飲む会を企画したのは本田会長で、今なお元気に酒の企画にはマメに顔を出していらっしゃる、 昨今では試飲会、楽しむ会などあちこちで酒を囲む会が盛んだが、この企画のように飲む環境、雰囲気を重視したものは珍しい。これからもますます増えるだろう飲む会も、こんな工夫があってもいいのではないか。
日本文芸家協会の総会と懇親会が5月14日にアルカディア市ヶ谷で開かれたのに出てきた。それというのも、私の77歳の喜寿の祝いを会でやってくれるというのである。私がこの会に入ったのは35年も前で、当時の会長・丹羽文雄氏のご推薦によるものだった。 当時の会員は1,000名程度だったのが現在では2,551名と倍以上になっている。会費は年2万円だが、85歳以上は半額の1万円だとか。 総会の冒頭にこの1年の間に亡くなられた会員への黙祷があったが、その最後にお名前が出たのが河竹登志夫氏で、88歳だった。 このWebでも河竹氏のご健酒ぶりにふれたのはつい先年である。日本酒で乾杯推進会議の100人委員会の折、私が早稲田の出身のことから、「担当の教授はどなたでしたか」と訊かれ、「呑んべえ教授の仁戸田六三郎さんです」とお答えしたのを思い出す。この仁戸田教授のことは後述する『酒つながり』にも書いているが、何しろ飲んでから授業が始まるのである。温和な酒だった河竹氏にしてみれば異色の教授である。 河竹氏が、新装なった歌舞伎座で狂言作者の代表として狂言名題を読み上げられたのが3月28日、亡くなられたのは5月8日だった。