中村真章


僕は野球が嫌いだった。それが僕が野球に対する最初に感じたことであった。何事もそうだった。嫌いだなと感じるものからは自分から挑戦しないそれが僕だった。
小学1年生のとき、運動があまり好きじゃなかった僕を、父が野球チームに行かされた。正直、最初は「絶対にやりたくない」と思っていた。

でも、チームには優しい先輩やコーチがいて、それが野球を始める大きなきっかけとなった。
当時のベトナムでは、試合の機会も少なく、野球道具などか買うことができない環境であった。野球の“楽しさ”なんて一度も感じたことがなかった。

そんな中、初めての試合で「代打で出てみろ」とコーチに言われた。
緊張しながら立った人生初の打席。打った打球はジャンプして内野の後ろにポトンと落ちるヒット。ベンチから「ナイスバッティング!」と声が飛んできた。嬉しかった。
あの一打がなければ、僕はきっと野球を続けていなかったと思う。


小学4年で日本に帰国し、日本でも野球を続けることに決めた。
しかし、そこには想像以上のレベルの差があった。サイン、練習量、戦術、体力……何もかもが初めてだった。

ついていけず、悔しかった。人生で初めて「悔しい」という気持ちを知った。
今までかけっこで負けても何も感じなかった僕が、悔しさをバネに本気で練習した。その時確か僕は50メートル走11秒台の鈍足だった気がする。そんか僕が努力を重ね、ついにAチームに上げてもらえた。心から嬉しかった。

しかし、小学5年生のとき。
僕は先輩たちの大事な大会で、大きなミスをしてしまった。センターへのライナーに飛び込んで後ろに逸らしてしまった。アウトどころか、大ピンチを招いた。悔しくて悔しくて、たくさん泣いた。今でも、あの日の夕暮れは忘れられない。

それでも、先輩たちは優しかった。
「最後の大会は任せたぞ」
そう言われて迎えた最後の大会。ワンアウト満塁、一打逆転の場面でバッターボックスに立った。監督に「スクイズにするか?」と聞かれたが、「自分で打ちたいです」と伝えた。
打球はレフトを超え、劇的なサヨナラヒットになった。
あの瞬間、すべての涙が報われた気がした。
その後、途中からチームに入った僕がキャプテンに任命された。とても嬉しかった。

でも、最後の大会で、セカンドに送球した球が一塁ベンチに転がり、サヨナラ負け。
僕の壮絶な小学生時代の野球は、そこで終わった。


中学に入ると、新たな壁が立ちはだかった。
イップスだった。小学生最後の大会のトラウマか、センターからセカンドへの送球ができなくなっていた。守備に自信があった僕にとって、それはとても苦しかった。

中学1年の頃は、小学生のときと同じ気持ちで野球をしていた気がする。
2年生ではなぜか外野手兼投手になり、その影響かライトからセカンドへの送球はできるようになっていった。一個上のチームにも入り、自信を取り戻しつつあった。

しかし、試合には出られなかった。
「何のために野球をやってるんだろう」
そう思って、ついにコーチに文句を言ってしまった。もちろん、怒られた。

でもそのとき初めて、自分が今までベンチの仲間に支えられていたことに気づいた。
試合に出ることだけが全てじゃない。野球を通して人として少し成長できた気がした。
そう思えるようになっていた。そして中学3年、ついに全国大会へ出場することができた。

この全国大会は体調管理ができておらず、49キロともやしみたいな状態で参加した。僕の中学最後の夏は不完全燃焼で終わった。


しかし全国に出るという結果もあったため自信だけはあった。、、


そして、淑徳高校に入学。
自信満々でスタートしたものの、また壁にぶち当たった。何をやっても上手くいかなかった。焦りと不安、自己嫌悪に押しつぶされそうになった。もう訳がわからなくて高1の夏はただ学校で鎌田とかいちろくメンバーでふざけてた記憶しかない。高1の秋自分にチャンスが降ってきた。初めて呼ばれたAチーム成田高校戦アピールチャンスだと思い、すごい気合いを入れて行った。しかし結果は全部が空回り、プッシュしようとしたらファーストファールフライ、ストレートを待っているのに変化を振ってしまいセカンドゴロしかもファーストにスライディングで削る形になってしまった。足には自信があったので安田学園戦でも代走として使っていただいた。まさかの結果は牽制死2回、ライトフライバンザイ、三塁コーチャーからベンチに戻ろうとしてホームスチールと勘違いされる最悪な1日となって終わった。ベンチ入りが目の前の試合だったが、僕は空回りしてしまいこの秋を無駄にしてしまった。


そして高1の冬、僕に人生最大の転機が訪れる。小田先生に言われて左打ちに転向することになった。
正直、悔しかった。今まで積み上げてきたものが全て無駄になったように感じた。
家に帰って泣きながら素振りをした。手がボロボロになるまで、何万回もバットを振った。

バッティング練習でもボールは全然飛ばなかった。
「もうやめたい」
そう思ったこともあった。でも、僕は逃げることが一番嫌いだった。だから、また必死に練習した。そのとき、一緒に死にそうになりながらTバッティングをしてくれた野田くん。本当にありがとう。

そして、野田と共に乗り越えた先に立った、初めての左打席での試合。
まさかのレフト前ヒット。笑ってしまった。
試合中だったけど、野田と顔を合わせて笑ったあの瞬間、今でも鮮明に覚えている。

春にはベンチ入りも果たし、ますます自信がついていった。
今思えば、本当に「人生は山あり谷あり」だと実感する。

高2になりスーパー1年が入ってきた。同じ外野手の岩橋だった。高2の夏も絶対先輩とやりたいという気持ちがあったので代走の役割をして負けまいと思ったが格が違った。大会に入り2打席連続ホームランあの光景を見た時本当にすごいと思ったし、焦りを感じた。自分の代で自分の居場所はあるのかととても不安になった。帝京戦では圧倒的にやられる姿を見て何故か悔しいではなく俺らの代で倒してやりたい。と思った。

そして迎えた最後の年。新チーム最初の練習試合自分はまさかのスタメンとして起用してもらった。結果は三振、レフトフライ、僕の役割として最低な結果だった。また僕の得意な空回り。大事なチャンスを潰してしまった。あっという間に秋の大会に入り、僕に任されたポジションは三塁コーチャーだった。正直試合には出たかったが指導陣からベタ褒めされていたので何か心地が良いと感じてしまっていた。チームが快進撃を続けていく中自分はただ見て声を出すことしかできていなかった。こうしているうちにみんな成長していると思い、また焦りが出てきた。八重尾を筆頭に10人が頑張ってくれてベスト4というところまでやってきた、自分はどうせまた三塁コーチャーで終わると思ってなんの想定もしてかった。急にタイムをかけられ代走だと言われた。頭が真っ白でとりあえず走って一塁まで行った。盗塁のサインが出された。まさかの僕は走れなかった。最悪だ。僕はこのなんもしなかった代走が牽制2回刺された時より何十倍も悔しかった。なぜいけなかった、ずっと頭の中で自分を責めていた。そうして自分の最後のオフシーズンを迎えた。『やるかやらないかでやるを選択する』いう言葉を自分のスローガンに掲げ挑んだ。体重なども増え目に見える成長が本当に嬉しかった。しかし春大は初戦敗退と結果で終わった。悔しかった。シードの器じゃないと思い知らされまた全員で夏の大会に向けて再出発することを決めた。

30期で決めた。富士山に登ろう。いよいよ明日が登り始める第一歩となる。

春大会以降スタメンで起用してもらい、中倉先生の『なんとかしろ』という言葉を胸に取り組むことで僕は今大会背番号7をいただくことができた。ほんとに嬉しかった。しかしこの背番号は自分1人で掴んだものではなく多くの人に支えられて掴んだもの。そんな人たちに恩返しできるようこの夏挑めるように頑張っていきたい。


さあ、こんなに波乱万丈でわちゃわちゃした僕の野球人生も、いよいよ最後の大会が迫っている。

春の大会前に揉め事があったり、新チームになってすぐにまたぶつかったり、本当にいろんなことがあった。だけど、ここまで一緒に乗り越えてきたこの最高の仲間たちと、俺は本気で甲子園を目指したい。


最後に

30期へ

なんか個性溢れすぎて毎日が楽しすぎた。

この代で野球ができて良かった。東の聖地、西の聖地。俺ら色で染めてやろう!

しま、イッカンまた勝って風呂行こう

八重尾。中央公園でなんか喧嘩ふっかけてきてそこからなんやかんやクラスも一緒でずっと隣にいた気がする。また勝って風呂行きやしょう。バルスタリー。


マネージャーへ

うるさくて大変な代だったと思いますが今まで支えてくれてありがとう。結果で恩返しします!


指導者の方々へ

そわそわする僕を使っていただき本当にありがとうございました。先生方が教えてくださった野球は今までに見たことがない野球観で野球という見方が変わりました。この大会結果で恩返します。


熱い男下居へ

今まで迷惑をかけまくってすまん。下居がキャプテンじゃなきゃこの代はまともに機能してなかったと思う。ピッチャー疲れさせた状態で回すので熱い一本頼んだ。


お父さんへ

いつも試合終わったあと電話してきてくれてありがとう。お父さんが誘ってくれてなかったら野球というものに出会えていませんでした。今では野球本当に大好きです。最後の夏結果残すので日本帰ってきて下さい。


お母さんへ

生まれてから今までずっと反抗期で逆ギレしまくって面倒な息子だったと思いますが、送り迎えや朝早くからおにぎり作ってくれてありがとう。恩返しできるようにプレーしまくります!


僕の野球人生、ラストチャプター。
悔いのないよう、全力で戦い抜きます。