鈴木颯太


あと3日で、自分にとって最高の青春が始まる。これまでの野球人生の中でも、特別な意味を持つ「高校3年生の夏の大会」。 

僕がここまで野球を続けてこられたのは、少年野球のコーチからかけられた一言がきっかけだった。

 「高校まで続ければ、絶対に上手くなる。」 


 僕の野球人生の始まりは、小学4年生の体育の授業だった。ティーボールが楽しくて、クラスの野球をやっていた友達に誘われ、チームに入団した。

 人数が少なかったこともあり、すぐに試合に出ることができた。でも、自分はその学年で一番最後に入ったメンバーだったため、周りとの差は大きかった。 

5年生の頃は公式戦が少なく、6年生の試合に帯同することが多かった。6年生になるとサードを任されるようになり、肩には自信があったため監督・コーチにも評価されていた。

 チームの方針で全員がピッチャーを経験することもあり、ここで初めてピッチャーというポジションと出会った。球速にはある程度自信があったけれど、コントロールが壊滅的で、試合ではあまり使われなかった。


 中学ではシニアではなく、軟式野球部に入った。シニアでやっている人は“本当に野球が好きで、めちゃくちゃ上手い人たち”という印象があり、自分には無理だと思っていた。正直、ここで自分の野球人生は終わると思っていた。 

中学では主にサードを守り、実力があったわけではないので、とにかく声を出して、やるべきことをやって、先生の評価を上げることを頑張った。 

その姿勢を評価してもらえたのか、先輩の代から背番号をもらい、一緒に戦うことができた。でも、3年間を通してスタメンで試合に出ることは少なく、不完全燃焼で終わってしまった。


 そんな僕が、高校に入って大きく変わった。中学の顧問の先生のつながりで淑徳に入学した。高校でも最初はサードを希望していたが、周りとのレベルの差を痛感し、ピッチャーに専念することを決めた。木暮さんの代は人数が少なく、ほとんどが2年生チームだったので、「ピッチャーが足りない。これはチャンスだ」と思い、モチベーションが上がった。

 少しずつAチームに呼ばれるようになり、1年生ながら夏のベンチ入りを目指して必死に練習した。


 しかし、夏大会直前の6月24日、2回14失点という最悪の内容を出してしまった。フォアボールで自滅したわけではなく、ただただ打たれまくった。自分の実力不足。それが理由でメンバーから外された。悔しくて、メンバー発表の時は涙が止まらなかった。それから毎日、補助で1000球近く投げ続けた。迎えた夏の大会。初戦は快勝したが、2回戦で敗退。悔しさの残る夏が終わり、次は秋大会。「次こそは」と思ったが、結果を出せず、またもやメンバーから外れた。


 冬を越え、春・夏大会でようやくメンバー入りし、少しずつ結果を残せるようになってきた。ただ、振り返って一番つらかったのは、自分たちの代として迎えた秋大会だった。 

予選を含め7試合ありながら、自分が登板したのは1試合だけ。つまらない大会期間だった。自分が悪いと分かっていても受け入れられず、試合中は「早く終われ」としか思えなかった。そんな中、八重尾が大活躍してベスト4まで進出。チームの士気が上がった。 


 冬が終わり、春大会へ。予選なしの本戦スタートで、相手も強いことは分かっていたけど、チームの雰囲気は最悪だった。

 「秋と同じ感じでやれば勝てる」と甘い考えがチーム全体にあった。実際、法政との試合では序盤リードしながらも、継投やミスで追いつかれ、最終的にはサヨナラエラーで敗北。

 僕にとっては結果を残すチャンスだったけど、

チームが負ければ意味がない。 

特に夏は、負けたら終わり。取り返しがつかない。 


ここまでやってこられたのは多くの人のおかげだ。特にエース・八重尾の存在が一番大きい。

 1年の頃から公式戦で活躍し、コントロールも変化球も、すべてが自分より上だった。

 自信のあった球速も抜かれ、自分の武器がなくなったと悩んだこともあった。 

でも、甲子園で仙台育英の高橋煌稀や湯田統真の姿を見て、「二枚看板として一緒に戦えばいい」

と考え直すことができた。

 これまでは八重尾1人に負担をかけすぎていた。

だからこそ、夏大会では八重尾以上に活躍して、彼の肩の荷を少しでも軽くしたい。


 また、淑徳の首脳陣の存在も大きい。 

練習内容を自分で考える環境があったからこそ、自分の力で成長することができた。 

やらされるのではなく、自分で選び、やる意味を考える。そんな難しさと向き合ったからこそ、今の自分がある。

 この夏、その成長を結果で見せたい。 


 最後に、両親への感謝。 

朝早くから弁当や補食を準備してくれて、帰りが遅くなっても夕食を用意してくれた。

 高校野球をやること自体に反対していた中、それでも応援し続けてくれてありがとう。

 ここまで続けられたのは、間違いなく家族の支えがあったからです。

 絶対に甲子園に連れていきます。

これからも、最後までよろしくお願いします。