塚本悠太
僕が野球を始めたのは、小学校2年生の夏休みでした。幼馴染が入っていた少年野球チームに体験で参加して、初めてグローブでキャッチボールをして、バットを振って。
うまくはできなかったけど、すごく楽しくて、
「もっと野球がしたい」と思いました。
そのままそのチームに入って、僕の野球人生が始まりました。練習は楽しかったけど、時間が短くて物足りなかったので、練習のあとにお父さんと二人で近くの公園や小学校の校庭で練習してました。お父さんは野球経験者で、バッティングや守備をたくさん教えてくれました。グローブのはめ方、スイングの仕方、ボールの握り方。どれも丁寧に教えてくれて、毎日一緒に練習するのがすごく嬉しかったです。
僕はとにかく負けず嫌いで、試合でエラーをすると試合中でも泣いてしまうことがよくありました。そんな僕にコーチは、「試合はまだ終わってないぞ」とよく声をかけてくれました。その言葉で気持ちを切り替えて、また前を向いてプレーすることができました。
もっと上手くなりたいと思って、全国大会に出場したこともある強豪のボーイズチームに入りました。そこはレベルも高くて、周りの選手もうまい人ばかりで練習もレギュラー争いも厳しいのはわかっていました。緊張しながらも必死についていこうと毎日練習に励みました。
ボーイズリーグでは秋に一年生の大会があり、僕のいたチームはAチームとBチームに分かれて大会に出ることになったのですが、僕はAチームに選ばれました。発表を見たときは本当に嬉しくて、「やっと認められた」と思いました。でもその日以降、Bチームの一部の選手に「お前は数合わせでAに入っただけだろ。調子に乗んなよ」と言われて、一気に気持ちが沈みました。
それから練習に行くのがつらくなりました。グラウンドが近づくとお腹が痛くなって、気分も悪くなっていきました。家に帰っても元気がなくて、笑えなくなっていました。
ある日、我慢できなくなって、お父さんとお母さんに相談しました。ふたりは何も言わずに最後まで聞いてくれました。
そして、「無理して続けなくていい。これからどうしたいかは一緒にゆっくり考えよう」、「悠太が楽しく野球できることが一番だよ」と優しく言ってくれました。その言葉にすごく救われました。
その後、時間をかけて考えた末、幼馴染のいる和光シニアに移ってまた野球を続けました。環境が変わったことで心にも少し余裕ができて、野球が楽しいと思えるようになっていきました。チームメイトとも仲良くなれて、少しずつ自分らしくプレーすることが出来るようになっていきました。
中学3年間で目立った成績は残せなかったのですが、局長さんに勧めていただき、和光シニアの先輩も何人か行っている淑徳高校に進学しました。今までやったことのないプレーばっかりで最初は戸惑いましたが、先輩たちのおかげで少しずつ淑徳の野球に慣れていきました。最初は守備を評価してもらえてAチームで試合に出させてもらえました。しかし良いアピールができず一カ月くらいでbチームに落ちました。そこからはBチームにいることがほとんどで大会のメンバーにもなかなか入れませんでした。あっという間に自分たちの代になり、秋の大会、春の大会でベンチ入りしました。ただ、僕が試合に出たのは小平南戦の最終回の守備のみ。悔しさが残る二つの大会になりました。
最後くらいは試合に出てるところを家族に見せたい、その一心で必死にアピールしました。しかし、メンバー発表で僕の名前が呼ばれることはありませんでした。帰り道家族にどう伝えよう、そんなことを考えていたらあっという間に家に着きました。「大事な話がある」、そう言って家族を集め、今日メンバー発表があったんだけど入れなかったと泣きながら伝えました。謝ることしかできない僕にお母さんは「辛かったね、結果が全てじゃない。本当によく頑張ったよ」と言ってくれました。その言葉にまた涙が止まりませんでした。
父と母はいつも僕を支えてくれました。お母さんは朝早く起きてお弁当を作ってくれて、毎日大量の洗濯物を洗って干してくれて、夜遅く帰ってきたときも「おかえり、ごはんあるよ」と笑って迎えてくれました。
お父さんも、練習に付き合ってもらったり、ユニフォームやスパイクを黙って洗ってくれたり、駅まで送り迎えしてくれたりしました。
これまで野球を続けてこられたのは、お父さんとお母さんがそばにいてくれたからです。
本当にありがとう。今度家族みんなで旅行行こうね。
最後に。僕の思い描いていた高校野球生活ではなかったけど、いろんな人の支えがあって野球をここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございました。
いよいよ淑徳高校野球部の夏が始まります。必ず勝ち上がってくれるので僕のチームメイトの応援にぜひ来てください。よろしくお願いします。