大谷凌駕

僕のスポーツのはじめはサッカーでした。2歳からドイツに住んでいたこともあり、ドイツ人の友達と一緒過ごしてたら必然的にサッカーをやってました。その頃の好きなサッカー選手は当時fc東京にいた武藤嘉紀選手とちょうど2014年のW杯もあったこともあり決勝で延長決勝ゴールを決めたマリオ・ゲッツェに夢中になっていました。当時の髪型も母親が美容師だったこともあり母親に武藤みたいに切って欲しいと頼んで髪を切ってもらっていました。小学3年生の頃母親の病気もあり母親の実家がある大分に1年間ぐらい住んでいて、大分の小学校に通いサッカー部に入りサッカーをやっていました。ドイツに戻る前に父と祖父で西武ドームに行き初めてそこで野球を見た。そのちょっと前からWBCの影響もあり野球というものに興味を持ち始めた。ドイツに戻ってサッカーも多少はやっていましたが野球をしたいという気持ちが高くなり、ドイツにも野球チームがあり週1ぐらいで野球をやっていました。その頃には野球にどハマりしていて、テレビ電話を通じて祖父母の家のテレビで野球観戦していましたし、よく母親と公園に行ってキャッチボールをしてました。小学5年生の夏休みにまた日本に来ていましたが母親の病気が悪化し、また母親の実家の大分に住むことになり以前と同じ小学校に通っていたが今度はその小学校の野球部に入り野球をしていました。そこでは2人のいとこももともと入部しており、さらに良い仲間に巡り会い、小学6年生では西日本の大きめの大会に出場しいい経験をすることができた。母親が亡くなったこともあり小学6年生の2学期に東京に引っ越しました。中学校では最初硬式のチームに入ろうと思っていましたが新しくできた友達も入っていた地元の軟式のクラブチームに入り、中学校の野球部にも入っていて平日の数日と土曜は部活の方で日曜だけクラブチームで野球をする生活をしてました。部活の方では1年生の時の初めての夏の大会で1年生で唯一背番号をもらうことができた。その時初めて背番号をもらうという嬉しさが湧きました。新チームになり秋の大会ではセカンドでスタメンを取ることができた。けれどもヒットが全然打てなかった。ヒットを打つためにほぼ毎日父親が練習に付き合ってくれて羽打ちをしていました。ヒットを公式戦で打てば木製のバットを買ってくるという約束を父親とし見事に秋の大会でヒットを打ちバットを買ってもらうことができ凄くうれしくて、そのバットでもっと練習したいと思うようになりました。結局その秋の大会では豊島区で1位になったものの次のブロック大会という都大会に上がるための大会で負け悔しい思いがありました。クラブチームの方ではいろんなポジションをやっていましたが特にサードは苦い思い出しかなくボールを取る分にはいいんですが一塁送球がビックリするぐらい投げられなくてイップス何じゃないかと思うほどでした。
部活の秋の大会が終わり冬に入ると腰のケガをし全然練習も試合もできず悔しいことが多く、部活に復帰してもスタメンからも落ち結局2年の夏の大会では14番でした。代が変わり自分たちの代になりピッチャーもやっていましたが主にショートを守っていました。けれどもまた夏休み中に軽く腰を痛め、肘のケガもしたがそこまで重症ではないこともありはおおよそ1ヶ月程度で治りました。秋の区大会では肘にテーピングをしながら出て頑張っていましたが準決勝で学習院に負け3位決定戦で勝ったものの結局ブロック大会にすら出れなくて悔しかったです。しかしまた腰のケガをしまた野球を休むのは嫌だったため痛いながら練習をし、試合ではボールが飛んできた時のアドレナリンで守備をしていましたしバッティングではネクストバッターサークルで素振りもできないほど痛かったが打席に立った途端アドレナリンもありバットを振れるという感じで野球をやっていました。2月、3月の頃コロナで部活ができない期間もあったことで腰も治り思いっきり野球ができるようになりました。クラブチームの方では先輩の代が強くてよく大きな大会に出させていただき自分も出場させていただいていましたが自分たちの代は先輩たちの代ほど上手くいかないことが多くあり最後の夏の大会もどこまで勝ち進んだかあまり覚えてないです。そして部活ではとうとう自分たちの最後の夏の大会が来て順調に勝ち上がりまた準決勝で学習院と対戦をし見事勝つことができた。区大会の2位まではブロック大会に上がれることもありその試合でブロック大会を決めることができた。しかし決勝では立教池袋とやり負けてしまいブロック大会でも先制したもののエースの子が試合中に熱中症になったこともあり残念ながら負けてしまい都大会には出れませんでした。これで自分の中学の部活動生活は終わりましたがクラブチームの試合が最後夏休みにわりかし大きな大会がありましたが塾の勉強合宿を優先して自分は出場しませんでした(クラブチームと塾が一緒の友達は2人いたがもちろん彼らは大会の方に行った)。それを監督に言うのは大分気まずかったです。完全に受験生になると高校をどこにしようかなと考えていましたが。野球も勉強も両立したいということもあり都立の小山台と城東を受けようとしていました。いろんな高校の野球部の体験会行き、11月には淑徳の体験会にいきました。そこではあの顔が長い方(関しゅん)に会い同じショートでノックを受け教室で着替えている時に喋った。そこで結構仲良くなった気がする。もともと淑徳を併願にしようとしていましたが結局成績が足りず他に良い併願校も見つからなかったため単願で淑徳に決めた。都立の受験が終わるまで塾で勉強していたこともあり冬休みが終わった段階で成績がかなり上がった。その当時は第一志望を受けられなくて悔しかったが今となっては単願で淑徳に来たことは大成功だと思ってる。そして3月に初めて坂戸での練習に行きました。お昼になるとみんなで管理棟でご飯を食べ、ちょうどその日が自分の誕生日で滝がハッピーバースデーの歌を歌ってくれていたが本人は誰に歌ているかわからなくてさらにみんながまだ仲がいいと言う感じでもなくて「ハッピー バースデイ ディア 誰だっけ」って言ってバカ気まずい雰囲気になっていました。関しゅんとは体験会の時に会っていたこともありすぐ仲良くなり、いっかんは関しゅんが仲が良かったためいっかんともすぐ仲良くなった。
高校に入学して基本ずっとBチームにいましたが野球がめちゃくちゃ楽しかったです。特にBの練習試合とか。3年生が引退し新チームになり高校入ってずっとピッチャーをやっていましたが越谷高校戦のときにAチームに呼ばれシートノックの補助をしてベンチに戻ったら中倉先生と小田先生になぜシートノックのときにショートに入らなかったのかについて林と爆責めされました。爆責めされている時に先生が言ったことに適当に「はい」だけと言っていたら呆れられてなぜかそのあといっかんとかがそのことについて先生に怒られていた。いっかんなんかごめん。その試合から内野をすることが多くなってよく試合の途中でショートを守ることがあった。結局秋背番号を貰うことができず、その時ショートもピッチャーも両方やっていたこともありめんどくさいと言う理由でかってに内野のノックに入らなかったりしてショートをやめました。今考えるとかなりバケモン。そこからずっとピッチャーだけをやっていましたが春も背番号をもらうことができずわりと野球が嫌になってた時期もありました。春大が終わりまた内野をすることになった。たまに打ってたりしてゴールデンウィークの群馬遠征に連れてってもらいそしてその後もある程度は結果が残せたもののやっぱり夏大でも背番号がもらえなかった。新チームそして自分たちの代になり野球が楽しめるようになり、最初は練習試合でも2試合目に出る程度であったが日大桜ヶ丘戦でいい当たりを打ちその試合以降セカンドでスタメンになることが多くなった。そして高校入って初めて背番号を貰うことができさらに4番であったこともありとても嬉しかった。秋大も結構勝ち進み準々決勝明大八王子戦で先制したものの追いつかれ7回に自分もエラーをし逆転された。自分はエラーをしたとき基本的にあんまり自分を責めないようにしてるそのときも「関もエラーしたし負けたら関のせいでしょ」って思っていた。そのマインドのおかげもあり裏の攻撃で見事にバスターを決めた(サインミス⭐️)。正直自分のバスターのおかげであの試合は勝ったと思っているが最後の下居の一本は本当に痺れた。次の早稲田実業には負けた。悔しかったよりもっと頑張らないといけないと言う気持ちが強かった。秋大の試合のあとは毎回まさきと蓮といっかんで銭湯に行って疲れを癒し語り合った。秋大中から腰を痛めて秋大終わってからも座るのも厳しく歩くのも厳しいぐらい痛かった。検査をすると軽い方ではあるが椎間板ヘルニアであった。痛み止めをもらいそして今もそれを飲まないといけない生活をしている。正直結構辛いがしょうがないと割り切って生活している。オフシーズンに入りトレーニングに力を入れて頑張りバッティングフォームの改造などをしたが練習試合が再開してもたいして打てずにいた。春大は負け本格的に1年生が試合に出始め自分はスタメンから落ちそこからチャンスを貰えても結果がなかなか出せなっかた。けれども東京学館船橋戦で初めてホームランを打つことができた。ベース間を初めて歩き、周りの歓声、ベンチに戻り仲間のナイバッチという声高校入って1番ぐらいの嬉しさであった。最終的に背番号はもらえたが14番であった、正直悔しい気持ちでいっぱいだ。夏大ではそんなに出番はないと思うが自分が先生に呼ばれたらいい結果が出るようにしたいです。
先生方へ
たぶん自分は最後までよくわからない選手だと思っていらっしゃると思いますが今日まで指導をたくさんしていただきありがとうございました。
3年生へ
まじでクレイジーなやつしかいなくて楽しかったぞ。夏大もいつも通り暴れて勝ちまくろう!
後輩へ
野球は楽しむと上手くなるし自分たちの代になったらもっと野球が楽しくなるから今辛くても頑張って!
母親へ
野球をやるきっかけ最初に野球をできる環境を作ってくれてありがとう。応援しててね。
おばあちゃんへ
毎回弁当をつくってもらったりユニフォームを洗ってくれたり夜遅くまで起きて帰るのを待って夜ご飯を作ってくれたりしてありがとう。これからもいろいろ頼りにします
父親へ
忙しいながら自分の試合に見に来てくれたり小学校の時からキャチボールとか練習に付き合ってくれてしてありがとう。最後まで頑張ります応援お願いします!