八重尾 蓮

今日、7/10は初戦の前日。時間は6時12分。今現在期限に追われている。いつも提出物を早く終わらせるはずなのに、これだけはなかなか書き出せずにいた。なぜなら夏が始まると同時に終わりが見えるからだ。成増駅から坂戸駅までの電車内に揺られながら自分は「僕の野球人生」を振り返っていく。

自分の野球人生の始まりは公園でアンパンマンのプラスチックバットを持ったところから始まった。

小学校に入るとサッカーか野球をやるかで長い間悩んだ。小学2年生、気がついた時には野球をやっていた。ルールやポジションも分からないまま練習試合に出させてもらった。初打席、結果サードゴロ。自分は泣いた。なぜ泣いたのかと聞かれ、ボールに当たったのが嬉しくて泣いたと話すと、コーチは驚いて笑った。その瞬間は今でも覚えている。バットにボールが当たるようになってからは小3くらいまで凡退するたびに悔しくて半べそをかいてた幼少期を過ごした。そこのチームの練習時間は2時間30分くらいで上手くなるわけもなく練習が終わったら公園に行って鬼ごっこばかりしていた。そんな強いとは言えない環境で野球をした自分は強いチームに入ってみたいと思うようになっていた。

選んだチームは東練馬シニア。中学野球の超名門。練習はもちろん地獄そのものだった。1学年は40人ちょいいた。当時朝小柄だった自分に対し、175センチ70キロくらいの巨体が何人もいた。それに加えて野球もありえないくらい上手だった。小学生の時に掲げていたプロ野球選手という夢はここで断念した。中学2年生時、一つ上の代は結果的に春夏全国準優勝という成績でみんな上手だったため首脳陣の期待がものすごかった。グラウンドは3年生の昼食の時のみ使える状態でグラウンドを使えない自分たちは朝7時から夕方5時ごろまで文字通り1日中走り続けた。そして練習後、3学年約130人がライトに集まってからのランニングがある。それの前にタイム切りの階段ダッシュ10本があった。よく分からないが目をつけられていた自分は他の人はタイムを切っていないのに終わってライトに集まってる中、自分だけ階段をずっと走っていた。早く帰りたいがために自分以外の約130人が軽蔑した目で自分を見てるのがよく伝わった。最初は慣れず嫌だなーっと思っていたがすぐに慣れた。毎週のことだから最後の方は何も感じなかった。「こっち見てるんじゃねえよ」みたいな感じ😘「俺じゃなくてお前らが悪い」と自分に言い聞かせた。ここで自分の他責思考が作り上げられた(笑)日本で1番うちのチームが走り、1番きつい練習をしてきたと言い切れる。数え切れないくらい吐いたし、ラン中に仲良い奴ら(滝とか)と同時に辞めようと何十回何百回も話した。中学2年時はチームを辞めるかどうかを両親と何度も話した。でも1度ここでやり切ると決めたからには途中で辞めるのはださいと思い中学までやり切り、高校は格闘技でもやろうかなと考えていた。

そんな時に転機が訪れた。中学3年時の進路面談で淑徳高校を紹介された。実績はまあまあ。頭が良くて、何より練習が楽と聞いたのでここならありかなと思った。そこから淑徳高校に入るために勉強をしたが4月から12月ごろまで偏差値50の横ばい。内申も28しかなかった自分は中倉先生と夏お話しした時に、3年間学年のビリでも平気かと聞かれたが、平気ですと即答した。
ようやく解放された自分は合格が決まった1/22から勉強も野球もせずサッカーとバスケを死ぬほどやった。そこで公園でサッカーをやっていると5人くらいの人に喧嘩を売られた😱その中にあのまさきくんがいた。。

高校に入ると衝撃を受けた。自由と聞いていたにも関わらず想像の何倍も自由すぎてた。初めての体験に目を丸くしていると他のみんなもそんな感じだったので安心した。肘の痛みで出遅れたものの、治ってからはAチームに呼んでもらえるようになった。ただストライクが入るという理由だけでもらった夏の大会での背番号19。勝ち進めなかったが計6イニングを投げることができ、初めて野球が楽しいと思えた。秋に向けて球速アップに励み成功したものの9月の秋大は予選の1回戦負け。完全に自分のせいだった。チームを勝たせることができる投手になるために3月の春大に向けて努力し続けた。怪我で投げれない時期もあり野球が楽しいと思えない時期もあったが支えてくれる人がいたおかげで乗り越えることができた。迎えた春大。結果はシード校の城西大城西に力で押されて2回戦で負けた。そこから夏は一瞬だった。勢いに乗るチームに勝ち、プロ注目の投手に競り勝ってベスト8を決めた。準々決勝の帝京戦。5回3点ビハインドで登板した。その回は凌ぎ切れたものの6回に連打を浴び交代、その次の投手も打たれ一挙7点の猛攻を受け6回コールド負け。また自分のせいで負けた。実力が足りない、実らない。何もかもがうざかった。負けたあと自分に「お前のせいじゃない」と言ってくれる先輩達、その人達を見るだけで、申し訳なさと心強い人達ともう野球ができないという悲しさでいっぱいだった。試合後は先輩達と話すだけで涙を流してしまうほどだった。
そんな思いを胸に迎えた秋。なんだかんだ勝ち続けまさかのベスト4。國學院久我山や明大八王子という格上の強豪に対して競り勝つことができた。しかし準決勝の早稲田実業に対して0-6。初回ヒットからの失点を許したものの、7回まで毎回ピンチを背負いながらも2失点でまとめた。8回に連打でゆうきに変わったもののヒットと自分のエラーで4失点。また自分のせいで負けた。でも全国の中でも上位に入るようなチームに張り合えたことは自信にもなった一方ベスト4に残った早稲田実業、二松学舎、帝京のエース全員はMaxで140以上を投げれる能力があるのに対しその時点で136しか出なかった自分は同時に劣等感を抱いた。去年より短い冬だった。練習「時間」では強豪に勝てないが練習の質や効率、ウエイト、休養、食事という面ではチーム内ではもちろん東京の中で1番練習し気を遣ってきた自信がある。結果的には11月72キロだった体重が4月に82キロ。球速は136から140前半くらいまで伸びた。その流れに乗って活躍してやろうと思った矢先、初戦でこけた。3回6失点のサヨナラ負け。情けない。春夏は自分が勝たせられる人間になると意気込んだのに自分のせいでまたまた負けた。球速に重きを置いて他の大事な部分を見落としてしまった。
そこからフォームの試行錯誤を繰り返し、4月頃とはスピードが変わらないもののどこの高校の打者も手も足も出ないようなボールが投げられるようになってきた。でもまだ足りない。1年の11月に掲げた3年時に「東東京No.1投手」になるという目標。それはもう達成目前にある。1年秋から貰い続けた背番号1。その時の重みとはまるで違う。2年4ヶ月の高校野球人生、小学2年生からの11年間もの野球人生の節目となる集大成。
俺はここで自分を表現する。
だからこそみんな俺を頼ってほしいし、そんな俺を見ててほしい。

先生方へ
2年4ヶ月ご指導ありがとうございました。淑徳の野球は見たことも聞いたこともないようなプレーが多く、野球というスポーツの深さを知ることができました。これからの野球人生の基盤となる高校時代をここでプレーできてよかったです。何もなかった自分を拾って、成長させてくれてありがとうございます。

マネージャーへ
佐古は約1年間も1人でうちのチームを支えてくれてありがとう。感謝しています。他の3人はあと2年頑張って。

後輩達へ
野球が楽しいと思えない人もいるはずだけど努力し続けよう。結果が出た時死ぬほど嬉しいし、野球を好きになる思う。2年生はあと1年しかないし自分たちはこの1年があっという間だったから悔いを残さず頑張れ。

先輩方へ
未熟だった自分を成長させてくれてありがとうございます。分からないことだらけだった自分に手を差し伸べてくれてとても心強かったです。今年ベスト8を塗り替えて甲子園行くので応援来てください!
飯島さん松村さん、ほぼ毎月ご飯に連れてってくれてありがとうございます。引退したら焼肉連れてってください笑
飯島さんは大学行っても体重の管理お願いします🥺

3年のみんなへ
人生の中で大きな意味を持つ大事な2年4ヶ月をみんなと野球ができて本当に良かった。下居へいつもわがままな俺を嫌な顔せず受け止めてありがとう。大事な場面での1本をほんの少しだけ期待してます。ランナー出さないから安心してくれ。高見は試合で打たなかったら俺と1番交代。そうたは拗ね癖やめろ。これからも一緒に帰ろうね❤️つばさはお互い腰痛でスクワットできんけど大学になったらフルスクワットで格の違い見せつけるわ。150投げよか。関は俺が会ってきた中でトップレベルに生理的に無理だけど、ここぞの時1本は出してくれるっしょ。しまといっかんは毎月の焼肉丼行くのまじ楽しいよ。秋から続けてる試合後の風呂、夏大もいこ。関係ないかもだけど野田と鎌田、2人はほぼ野球部みたいなもん。片方は元野球部だし。。全て落ち着いたらまさき合わせた4人で旅行行こう。最後にまさきは一緒にいすぎて思考が読めるようになってきてなんか嫌。ホンモノもう少し磨いていこう。塁に「出れたら」ソワソワすんなよ。夏盛り上げてくれ。

お母さんへ
小学2年生からの高3までの間、泥だらけになったユニフォームを洗濯してくれたり、朝早くからの弁当や数え切れないほどのおにぎりを作ってくれてありがとう。また夜遅くても嫌な顔せずご飯を用意してくれてありがとう。そのおかげで入学から20キロくらい体重が増えました。大学は多分寮だからもう迷惑かけません。ありがとうだけじゃ足りません。結果で返します。

お父さんへ
幼少期は野球の投げ方や打ち方、考え方など1から全て教えてくれてありがとう。バッティングセンターいやになるほど行ったね。その当時はいやでも今思えばいい思い出だなと感じます。またキャッチボールしよう。

俺の好きな言葉は「一瞬の夏、一生の記憶」
これは2011年の高校野球選手権大会のキャッチフレーズ。1試合は約2時間。グラウンドに立つ時間はもっと短い。でも、この一瞬の夏が今後の人生に大きな意味を持ち、一生記憶に残り続けると思う。
そんな夏にすることを誓います。

応援よろしくお願いします。