今年の終わりに
どうしても書きたかったこと。
『大切な誰かを亡くしたあなたへ』
今まで何度か書いてきた。
でもそれは
私が見てきたことや
私が受け取ったメッセージを
なぞってきた言葉だったなと
体験してみて今思う。
『大切な誰かを亡くしたあなたへ』
いつか来る、必ず来る
解っていてもそれがやって来るのは
心を大きく揺らされる事だ。
頭も心も体も
起きたことに追い付くのに必死で
速すぎて逆に止まっているような
不思議な感覚になる。
悲しみに伏せる暇なく
やらなければならないことが
押し寄せてきて
忙しなく居ることが
楽なような気もしながら
でもずっしりと重たい何かが
心と体を鈍らせていく。
今は無理をしなきゃないけど
今は無理をしないで欲しい。
泣きたかったら泣いて
辛かったら苦しかったら
誰かに話して頼って
それは甘えでもなんでもないから
迷惑なんかじゃないから
ゆっくり休んで欲しい。
誰かの死は
心と体にとてつもない負荷を与える。
心と体が思うように機能しなくなる。
だから、早くなんとかしなきゃなんて
焦らなくて良い。
今を受け入れて心と体を
ケアして休んで欲しい。
きっと頭の中に
『もっと、こうできたんじゃないか…』
『もっと、こうすればよかった…』
罪悪感にも似た後悔が
湧いてきて苦しくなって
涙が止まらなくなる時は
自分にこう伝えて上げて欲しい。
『そうだよね、もっともっと
愛したかったよね』って。
それはあなたが誰かを
愛していたからこそであり
それはあなたが誰かを
もっともっと愛したかったから
湧いてくるものだから。
それが湧くあなたは十分に
愛せていたし愛していたのだ。
だから自分を責めたりしないで欲しい。
ただただ自分に寄り添って
『もっと愛したかったよね』
そう自分を抱き締めて欲しい。
そして、今目の前に居る
生きている大切な人達を
『制限』をつけずに
存分に愛していけば良い。
どんな誰かでも
愛したかったんだ
何をされようとも
愛したかったんだ
あれがこうでもこれがあーでも
愛したかったんだ
もっともっと、愛したかったんだ。
死は私達の最たる愛の学び。
私は私をどれだけ愛せただろうか…
私は誰かをどれだけ愛せただろうか…
人は終わる時
愛された数より
愛せた数を数える。
ならば、存分に愛すことだ。
自分も誰かも。
私達は愛したいのだ。
愛されたいと言う思いすらも
愛したいがためなのだ。
ならば愛せば良い。
条件等つけずに
ただただ愛せば良い。
それを命の終わりをもって
あなたに伝えてくれた誰かは
あなたを存分に
愛してくれた人なのだ。
有り難いね
命はなんて
有り難い。
すぐに折り合いなんかつけなくて良い。
誰かに合わせたりなんかしなくて良い。
あなたのペースで
あなたのタイミングで
回復していけば良い。
無理なんかしなくて良い。
あぁ、全ては愛だったなと
私達も死んだら解る。
あぁ、あれもこれも全ては
愛でしかなかったんだなと。
それまでは
わからず屋で良いじゃないか。
それで良いのだ
人間だもの。
私はあなたを励ましたい訳じゃない。
私はあなたに解るよって
解りきれないけど解るよって
そう伝えたいだけ。
だから無理しないで欲しい。
きっと何年経っても
胸がギュッとなって
涙が出るから。
それで良いから。
淋しくなったら目を閉じて
深呼吸して
この空間が全て愛で
ならばここにあの人の愛もあるのだ
そう感じて欲しい。
愛には色んな形がある
自分の中を通り抜けてはじめて
それが愛だったのだと解る。
愛の学びには色んな形がある
痛くて辛くて苦しくて…
それすらも愛の学びで
自分の肚に落ちてはじめて
それが愛だったのだと解る。
だから、今は
わからず屋で良いじゃないか。
今の自分を赦してゆるめて
回復するのをゆっくり
待って上げて欲しい。
そう思うんだ。
壮大な学びの余波が
心と体に馴染むまで…
あなたの今のその状態に
あなたがまず寄り添って
理解して上げて欲しい。
仕方ないよね
今はそれで良い、大丈夫って。

