この数年
私の中の密かなテーマだった
祈り
2019年から
導かれるように修験の世界を知り
自然崇拝と言う
人間本来の祈りに触れ
祈りとはなんなのか?
を、ずっとずっと考えてきた。
2020年に
10年ぶりに4人目を出産し
育児中心の生活に戻り
2023年に
五人目を出産し
なりふり構わずな
これまた育児中心の生活
何故私は再び
妊娠出産育児を
一からやらされているのだろうか…
度々そう問いかけていた。
その答えを最近
受け取った気がするのだ。
愛とはなんなのか?
祈りとはなんなのか?
それを私が理解するためには
この経験と
この経験からの学びが
一番わかりやすかったのだなと。
私はずっと祈りが嫌いだった。
祈ったからなんなんだよって。
祈りじゃ飯も食えねぇし
人も救えねぇわって。
埋まれながらのスピリチュアリスト故に
スピリチュアルが嫌いだったから。
祈りも言霊も嫌い(笑)
全てが愛なら
浄不浄を嫌わずなら
良い悪いなんか無いだろって。
ひねくれものだった。
今も嫌い以外は
あまり変わってないかもしれないが(笑)
愛と祈りについての解釈は
大いに変わった。
あぁ…
やはりこの世界は
愛しかなくて
祈りによって
作られとる…
と言う
なんと言うか
逃げようの無い真実の中に
佇んでる気分。
日本人は特に無意識に
祈りを生きている。
いただきます
ごちそうさま
いってらっしゃい
いってきます
ただいま
おかえり
ありがとう
お坊様に教わった
『魂が込められたものは
何百年何千年何万年経っても
必ず姿を表す』
修験の人から教わった
『漢字を読むではなく
文字を読むでなく
音を読みなさい。
音の中に真実がある。』
私達は知らぬうちに
『日本語』と言う
祈り言葉を使い
『声』と言う
音のバイブレーションーを響かせ
何千年も変わらない
祈りを生きている。
愛からの祈りを
沢山受け取り
沢山与え
生きている。
子供を産み育てると
尚更感じるのだ。
無事に無事にと
祈った十月十日。
母子共に健康にと祈った出産。
病気や怪我なく
無事に大きく育てと
お世話しながら
苦楽を共にする20年。
そこには
愛と祈りしか無かったなと。
間違う日も沢山あった。
悔やむ日も沢山あった。
最低な日も沢山あった。
出来ないことも沢山あった。
悩んだり迷ったり沢山した。
最初から成熟した完璧な人
なんていない。
そうはわかっていても
もがきまくった。
でもその全てが愛で
幸せにしたいと言う
祈りだった。
そう気付いた時。
あぁ、私自身も
沢山の人の愛と祈りの化身なんだ…
それに気付いた。
みんなみんな
沢山の愛と祈りの化身なんだ…。
それから
セッションやエネルギー調整をする時
私はいつも感謝する。
その人の肉体に
いつもその人を守ってくれて
ありがとう
ここに来てくれて
ありがとう
無事に生きていてくれて
ありがとう。
一生懸命生きている
それだけで素晴らしく愛しい。
終わる度に感謝する。
このお役目をさせていただき
ありがとうございます。
感謝も祈りも
勝手に涌き出るもの。
無理にしようとしなくて良い。
わかったらしたくなる。
それで良い。
そのわかるきっかけに
私がなれたら嬉しい。
今の私だけ見たら
『あなたは幸せだから言えるのよ』
なんて思うかもしれない。
私も過去
そう思ってしまうぐらいに
余裕がなく苦しい時代が
長くあったから。
でもね
その時ですら
私は愛と祈りの中に居たのだと
今ならわかる。
だから安心して
やり尽くしてください。
あなたがどんなあなたでも
あなたがどんな今でも
あなたは愛と祈りの中に居る
そう私は知っているから。
愛と祈りの中で
存分に味わってください
あなたが選んだあなたと
あなたが選んだ人生を。
大丈夫だから。
愛とはなにか
祈りとはなにか
私が知ったのは
一片でしかないかもしれない。
それでも良いと思う程
自分自身も誰かも
そしてこの世界も
愛しく感じるのだ。
だから祈る
これを読んでくれたあなたの今日が
幸せな一日で
ありますように。
