命の選択と命の力を信じること。


産まれるも産まれないも

死ぬも死なないも

産まれるも死ぬも


全て自分が決めてきたこと。

全てその人が決めてきたこと。


私の命もいつかは終わり

私の世界もいつかは終わる。


頭では理解していても

肚には落としかねる。


頭では理解していても

こうであれと願い祈る。


今、沢山の人が

『命』と

向き合わされている。


自分の『命』

大切な誰かの『命』


肉体はなくとも魂はあり続ける

全体に戻るだけ。

なくなるでもなくあり続ける。


でも人間に産まれると

肉体と言う物質に意味を込める

故に肉体があることを

大前提とする。

だから悲しく辛く苦しい。


なぜ今私達は

『命』に向き合わされているのか。


それはこれから始まる荒波に

命の選択と命の力を

信じられるのかと言う

宇宙からの問いなのだと

私は思う。


それは祈り。


私達に命を操ることは出来ない。

生死をコントロールすることは出来ない。


自分の命すらも

自分で決めてきたとは言え

コントロールすることは出来ない。


何をしたからどうしたから

生きる、死なない

そんなものはない。


何をしてもどうしても

生きるときは生きるし

死ぬときは死ぬ。


じゃあ諦めろと言うのか?

そう聞かれたら

そんなの愚問だと答える。


あなたは諦めれるだろうか?

自分の『命』を

大切な『命』を

仕方ないとそう簡単に

諦めれるだろうか?


諦めるという行為にすら

奇跡に繋がる期待を

しているはずだ。


私達に出来ることは

信じること。

そしてそれはすなわち

祈ること。


私達は

信じ祈ることしか出来ない。


だから私達は

神を産み出し

宗教を作った。


命の流れ

『運命』は

変えられないと

知っているからこそ。


信じ祈ることしか

出来ないからこそ。


私達は


自分の奥底にある

スピリチュアリティを

納得していくために


神を産み出し

宗教を産み出し

哲学をして


なんとか自分の思いと

折り合いを付けようと

してきたのだ。


祈りとは自分のためにある


誰かのために祈る時すら

その祈りは自分のためにある。


宇宙のために

地球のために

世界のために

誰かのために


祈る祈りは全て

自分のための祈りである。


そうなってほしいのも

そうであってほしいのも

そう信じたいのも

そう願いたいのも

全て自分のためだから。


私はずっと祈りが嫌いだった。

偽善だと思っていた。

みんな自分のために祈っているのに

なぜ誰かや何かのためと

大義名分を付けたがるのかと。


私は自分のためにしか祈らない。

地球が幸せで

幸せなのは私だ。

世界が幸せで

幸せなのは私だ。

あなたが幸せで

幸せなのは私だ。


あなたが生きていることが

幸せなのは私だ。

あなたが幸せでいることが

幸せなのは私だ。


だから、全ての祈りは

私のためなのだ。

あなたのために祈りたい

私のために

祈りがあるのだ。


だから私は今日も

私のために祈る。


私が信じたいのだ

私や誰かの

命の選択と命の力を。


こうなります様にではなく

最善であることを

願い祈る。


そして

全ては最善であることを

信じる。


あなたがもし

『命』と

向き合わされているならば

あなたはこの先の未来を

見に行く人である。


どんなに荒れた航海でも

どんなに危険な旅路でも


命の選択と命の力を信じ

前に進めるか?

全ての命の選択を

受け止め受け入れ

前に進めるか?


あなたの覚悟を試されている。


その時にあなたを救うのは

あなたを支えるのは

他ならぬ

『祈り』

なのだと私は思う。


2022年が

本気を出してきたのか

私達の人生が

本気を出してきたのか

色即是空空即是色

さてどんな色を付けて見ようか…