愛されたいさびしんぼう

新月なので

手放そうと思う。


私には今まで

どうしても腑に落ちない

納得できない事があった。


過去関わりがあった

その人がなぜ

そんなことをしたのか。


色んな角度から考えた。

好き?嫌い?

妬ましい?疎ましい?

でもどれもなんだか

当てはまらなかった。


でもあるときしっくり来た

『あぁ、愛されたがりの

さびしんぼうなんだ…』


その人の周りには

その人の能力を信頼して

人が集まる。


その人は必ず

称賛ではなく

心配と言う名で

居ない誰かの話をする。


自分に会えないのは…

この場に来ないのは…

静かに静かに

依存へのアンカリングをしていく。


個々に耳打ちする

あの人とは関わるな

あの人とは距離を取れ

あの人やあの場からはひ離れろ

ここは良い場所だと

相談したわけでもなく

聞いたわけでもないのに。


まるでそれが正しさに見えてくる。

逆らう自分は間違っている

そんな風にすら感じ始める。

その人の言葉が正しくて

自分は間違っていると

自己肯定感の低さが

知らぬ間に餌さとなり

気付いた時には

深くアンカリングされている。


アンカリングに気付くまで

私も同じことを

していたと思う。

ある時アンカリングに気付いてからは

見つけては書き換え修正してを

繰り返してきた。

想像以上に深いアンカリングは

私のあの人への信頼を

見せつけられるようで

なんだか悲しかった。


あの時、私に悪者だと言った

そんな人たちを

仲間だと表現するあの人が

なんだかとても許せなかった。

知らずにくっついている

悪者だと言われていた人を見て

なぜ気付かないと怒りさえ覚えた。


怒りが湧いたり

悲しみが湧いたり

恐怖が湧いたり

いつもなんだか

驚異を感じ怯えていた。


きっと微塵も私の事など

気にもしていないだろうに。


でも、腑に落ちたのは

あの人がいつも持っている

人への不信感と

物悲しさだと

愛されたいと言う強い欲求を

思い出した時に

全てがガシャンと繋がった。


スカスカな内側を

誤魔化すためには

外側を満たすこと。


でも、それをすればする程

淋しさが悲鳴を上げる。


あぁ、あの人は

みんなの特別になりたかったんだ。

特別なら愛される

特別なら淋しくない


だからみんなに


『特別だよ』と耳打ちしながら

同じものを配っていたのだろう。


だから同じように

みんなの特別になりたくて

特別なら愛される

特別なら淋しくない

そう思っていた私は

その人が差し出す特別を信じ

その特別が欲しくて


みんな同じだったのだと

気付いた瞬間に

怒ったのだろう。


結局は私なんだな

私は私のもつ種と

同じような種をもつ人と出逢っては

学んでいただけなんだ。


私は愛されたいと

泣いているあの人を

愛したかったのかもしれない。

なのにお前の愛など

要らないと言われたようで

悲しかったんだ。


いやきっとあの人が

本当に欲しいのは

他者からの愛じゃなく

自分自身からの愛で

自分を愛すために

誰かの愛が

欲しかったのだろう。


あぁ、あの人も

私だった。


そう思えてから

本当にどうでも良くなった。


まだまだ時々

アンカリングを見つける

その度に

これも愛の残りかす

そう思えるようになった。


私もアンカリングを

したくないとは思いながらも

知らず知らずに

アンカリングされてしまう人が

いるかもしれない。


どうせアンカリングされるならば

その人が幸せになれる

アンカリングをしたいなと

いつも思う。


思い出す度に

自分を責めたり

枠に閉じ込めてしまう

アンカリングではなく


思い出す度に

自分が愛しくなり

枠を飛び出す勇気が湧く

アンカリングを。


まあそれすらも

意味を付けるのは

自分なのだけれど。


なんだかやっと

解放される気がした。

なんだかやっと

自由になれる気がした。


ごめんなさい

ゆるしてください

ありがとう

あいしています。


さようなら。