朝から重そうなテーマ
いや、書きたかったんだな
敵を自分の頭で
いっぱい作って来た私だから


世の中、十人いれば
三人は自分を好いてくれる
残りの半分はどちらでもなく
残り半分は整理的に?まあ色々
合わなかったり嫌われたり


たいがい皆
この三人より
嫌う半数に労力を使う
結論から言えば無駄
万人に好かれるなんてあり得ない
でも、好かれたい嫌われたくない


嫌われるって辛い
傷付く
でも、自分にも嫌いな人が
いる限り
それはお互い様


じゃあ、その相手は
本当に敵なのだろうか…


掘り下げて掘り下げて
感じていくと


それは自己投影だったり
自分の弱点と感じるところ
用は痛いところをつかれるからだったり
自分の絶対や正義やなんかを
揺るがす
存在だったり


好きな人からの言葉は
スルスル入るのに
嫌と感じると
もう嫌でしかない


でも、なぜ嫌と感じるのか
そこに向き合うと
嫌な存在として
学びや気付きを
与えてもらった事に
気が付く


北風と太陽


私はいつも自分に言い聞かせる
北風には脱がせられなかった服を
太陽はいとも簡単に
脱がせてしまった


きっと、仲良くしたいとか
うまくやりたいって
気持ちの裏には
不安や恐怖がある
打ち勝てなんて言わない
でも、それを握りしめる必要もない


自分が変えられるのは
自分自身
それがわかっていれば
自分はカルマから学び
経験し変わっていく
それがわかっていれば


誰かの為には自分の為
自分自身が変わる
そこが重要であって
他人を変えようとしたり
コントロールしたり
そんな事に得るものはない
むしろ出来ない
影響を受けたって
変われるのは相手自身の力
それどころか
そこに囚われた自分は
変わらないコントロール出来ないことに
苛立ち怒り苦しめ苦しくなる
自分らしくいられなくなる


揺るがない自分への信用と
揺るがない自分への愛を
いつも感じる
変えられるのは自分自身
相手もきっと変われる
と信じるだけで良い
あとは手放す


目の前の敵はいつかは味方になると
信じて手放す


そのいつかは
今世のうちか来世か
はたまた来来世か
いつかはいつか(笑)


嫌われないようにするより
ありのまま
自分らしく
相手に誠意を尽くせば
それで良いんじゃないかな


昔の私は
不義理にも義理で返す
義理人情
みたいなヤクザ映画みたいなことを
考えていたが


今の私は
不義理されたら忘れる
許す許さないじゃなく
許せないなら
何故許せないか伝えたら
忘れる
愛情人情


敵を作るは自分自身
目の前の敵は本当に敵ですか??