長崎を訪れた大きな目的は平和公園への訪問でした。
個人的には広島のことはよく知っていましたが、長崎と言えばその後ろに隠れたかのようにあまり知りませんでした。
最初に爆心地を訪れ、何とも言えない思いにさせられてから原爆資料館で勉強してきました。
たくさん思うことはあります。
原子爆弾が人類にとって恐怖の武器であることは知っていましたが、どれだけ恐怖なものかは知りませんでした。
被爆者にとっては、助かったから終わりというわけではなく、そこからも悪夢が続いたようです。
後遺症の恐怖と戦いながら毎日を生き続けなければならない。
原爆は人体に影響を及ぼすだけではありません。
展示されていた残された物品を見たときにそれを実感しました。
コーラの瓶だったものが原形を留めないような形で残されていました。
残っていた時計すべてが11:02で止まっているのも非常に衝撃的でした。
ステンドグラスの破片や残された建造物から、長崎の築き上げたキリスト教と共に歩み続けた歴史を実感しました。
大切にしてきた歴史を一瞬にして崩す。恐怖でしかありません。
しかしながらいつまでも後ろを向いていない長崎の姿にも感激しました。
このような歴史があったからどうするか、ということを真剣に見据えているなと思いました。
被ばく問題といえば、日本は福島の問題が継続中です。
被爆と被曝では並べるものであるのかどうかよくはわかりませんが、被爆経験の反省を生かした対応をしてほしいです。
福島の一刻も早い復興と、世界中のどこにも戦争の恐怖が二度と訪れないことを心から祈った一日でした。