色々と話題になってる日テレのドラマ「明日、ママがいない」なんだけど、これはおやじ的には問答無用でペケなドラマだと思う。


赤ちゃんポストに預けられた女の子に「ポスト」と言うあだ名をつけた段階で、下衆の根性が透けて見えてしまう。日テレがどう言い繕おうと視聴率狙いのあざとさが見え見えなのだ。


ドラマだから誇張やセンセーショナルな部分があってもいいのではと言う考えもあるだろう。しかし、それが許されるのはあくまでそれで傷ついたり、差別されたりする人が出ない事が前提なのだ。


お笑いタレントのOが、「このドラマが放送中止になるならテレビは終わりだ(表現の自由を守れないから)」と言う発言をしていたが、思い上がりもはなはだしいと言いたい。そこには傷ついたり差別されたりする側の痛みはなにもわかっていない、傲慢な作り手側だけの言い分しかない。

こう言うドラマを平気で放映してる事でもうテレビは終わっているのだ。


表現の自由を守るためには、自分を厳しく律する必要があると言う事を認識してもらいたい。なんでもありが表現の自由ではないのだ。


傷つく人たちを置き去りにして語られる表現の自由はうすら寒いだけである。


こう言う自由に対する感違いが「秘密保護法」に繋がるのだと声を大にして(言っても誰にも聞こえないのだが)言いたいおやじなのだ。