奥さんの体調が回復すると我々はギルギットという街に移動した。ギルギットはカラコルム山脈に囲まれたパキスタン北部の中心となる街である。インダス川の上流にあたる土色で濁ったギルギット川が街のそばを流れる。周囲は緑の少ない乾いたカラコルム山脈の山々が聳え、高い建物などはほとんど見当たらない地方の街であるが、人口20万人ほどもあり、街の規模は決して小さくない。ここで米や野菜などの食料や灯油などを調達したあと、いよいよ山へ入る出発地点となる村に向かうのである。

 

街の中心に近い貧乏旅行者向けの安宿に投宿。米を入手しようと宿の近くの食料品やに行くと、なんと米は10種類以上あった。米は並べて立てかけられた麻の袋に入っており、上部が開いていて米の様子が見える。よく見ると微妙に色味が違っていることがわかる。どれも日本とは違う細身のロンググレインライスであるが、こんなに種類があったとは。価格も随分と違い、感覚的にはキロ当たり数倍の価格差があったと記憶している。トレッキングには中くらいの値段のものを持っていくとして、試しに最も高いものと安いものも少しずつ買ってみた。宿に戻って、調理用ストーブの使用感のチェックも兼ねて、これらの米を炊いてみる。部屋の前が庭になっているが、貧乏旅行者向けの安宿のこと、自炊で火を使うくらい何も言われない。ちなみに米はごく細かい砂利のようなものが少し混じっているので、研ぐ前に砂利を丹念に取り除く作業が必要だ。その後鍋で炊く。まずは最も安い米を口にしてみる。なんかイヤな風味がする。美味しくない。こんなヒドい米はこれまでインドやパキスタンの食堂で出てきたことはなかった。安くても二度と食べる気が起きず、申し訳なかったが残りは捨ててしまった。一方、高い米には驚いた。こんな米は食べたことがないというくらい美味しい。こんなに美味しい米があり、それが数倍の価格差で売られているとは。パキスタン人はなかなか米へのこだわりがある人々なのだなと、なんだか親近感が湧いてきた。

 

山の中で食事はカレーやシチューを想定していた。いまなら迷わずルーも米もできるだけ簡単なインスタントを持って行ったと思うが、当時はなるべく安価に済ませたいという気持ちと、なによりも経験不足により、一から野菜を切って作るやり方を採用していた。実際に山に入ってからわかるが、クタクタになるまで歩いてから、寝床となる場所を決めて、テントを立てて、水場で水を補給するなどの一連の雑用をこなしてから、野菜を剥いて切って炒めて煮込むなんぞ、苦行以外何物でもない。

 

必要なものをすべて入手し終わると、トレッキングの出発地となるパコラという山間の村への移動手段の手配が最後の仕事である。パコラがあるイシュコーマンバレーといわれる地域へは公共の交通機関はない。この地域の村々へ物資を運ぶジープがあるのみで、ここに他の乗客(この地域の住民)と一緒に載せてもらう。いよいよ明日出発という日、我々はこのジープが屯するという通りに赴き、荷物の上げ下ろしをしている運転手と直接交渉した。パコラまでの所要時間は5-6時間。朝7:30に集合とのことだった。準備完了。いよいよ1997年夏のメインイベントの開始である。

 

(つづく)