宿は旅における重要な要素である。特に何泊か滞在する場合は、納得するまで何軒かの宿を内見させてもらってから決めることも多い。良い宿は誰にとっても良い宿であることが多いようで、私が良いと感じた宿は混雑していることも多い。が、あまり旅行客の来ない街に行った時などは、宿がガラガラであることもある。混雑している宿は騒々しいこともあるが、客の全くいない宿はそれはそれであまり気持ちの良いものではない。不気味ですらある場合もある。今回はそのようなガラガラの宿の体験についていくつか書いてみる。

 

一つ目の宿はスーダンの北東の地方都市ポートスーダンという街のユースホステルである。このユースホステルは、街はずれの誰も来ない岩だらけの砂浜のすぐそばにある。近所には家屋もまばらで荒地も多く、宿の周辺に人の気配がない。宿は縦10メートル×横15メートルほどの平屋。2段ベッドが数台設置された部屋が2つと、常駐している管理人のおじいさんの部屋がある。1994年に休学して旅に出たとき、ここに一週間滞在した。私の他に客が来ることはなく、初老の管理人と終始二人暮らしであった。街に買い物に出かけたりしたが、宿での自炊も多く、引きこもりがち。おまけに風邪をひいて2-3日は寝込んでしまった。少し寂しいのは確かだが、だんだん慣れてくると静かで心地良くもなってくる。変化もなく退屈であるが、誰に邪魔されることなく時間を100%自分でコントロールできるのは悪くはないと思った。このような宿に泊まらずとも、長時間のバスや鉄道の移動など、旅では気ままに過ごせる時間はたくさんあるのであるが、このような経験を繰り返すと、日本でノーマルな生活に戻ったとき、自分をコントロールできている時間が少ないと、以前より苦痛に感じるようになった。

 

二つ目の宿は、ラオス南部の田舎町アタプーの町はずれにある宿である。ラオスはインドシナ半島の内陸国。日本の6割ほどの面積で、そのうち7割が山地である。また人口がわずが750万人というアジアでも最も弱小な国の一つである。私が訪れた1995年当時は、その原始的な社会インフラゆえ、「アジアの中のアフリカ」などと呼ばれていたが、それこそが私がこの国を見てみたいと思ったきっかけでもある。

アタプーは国境を接するカンボジアから遠くない、ラオス最南部の盆地にある。宿の敷地はサッカー場くらいはあろうかと思われる広い草っ原で、2階建ての一軒家のような建物がポツポツと点在している。建物の一階には客室が1つと共同のシャワーとトイレがあり、二階には客室が2つあった。私は二階の客室に収まった。滞在期間は3泊。私が滞在する間、敷地の中で他の客を見かけることはなく、広い敷地にある離れのような部屋で独りぼっちであった。夜になるとけっこう激しいスコールが何度もあり、それが止むと一斉に敷地内のカエルが鳴き始めるといった具合で、窓からは草っ原と雨の匂いのする涼しい風が入ってきたりして、インドシナ半島の田舎を100%満喫している気分だった。唯一嫌だったのは、陽が暮れてからのシャワーとトイレである。記憶は定かではないのだが、建物内の廊下や階段には灯りがないため、二階から懐中電灯を点けながら一階のトイレに行くのはあまり気持ちの良いものではない。

 

三つ目もラオスの宿。こちらは北部にある山間の街にあった。この街にはまともな道路が通っておらず、川を遡るボードが唯一のアクセスである陸の孤島だ。街の名前も憶えていない。宿はボートが停泊する場所の真ん前にある中国人の宿で、山間の街としては不必要な鉄筋コンクリートの5階建てくらいの新しい宿だった。ただし造りはかなりシンプルで、各階には吹きっさらしの長い廊下があり、共同のシャワー・トイレのエリアと、ベッドが10個くらい並んだ部屋が4-5つほどある。飾り気ゼロで、まるで校舎か田舎の病院のようである。受付が一階にあるが、ここはがまだ工事中のようで、入口付近に小さなテーブルがあるばかり。壁はコンクリがむき出しで、天井にはこれから灯りを接続する予定なのか、電気の配線が垂れ下がっている。また、建築資材が山積みで部屋は薄暗い。食堂などもなかった。(ちなみに、この街には外食できるところがないらしかった。唯一食料が調達できたのが、ボートが停泊する場所の前の売店で、そこにモチ米を炊いたものが売っていた。おかずはなく、その店さえ私がボートで到着した夕暮れ時には店じまいの準備をしていて、レジ袋のようなビニール袋にソフトボール大のモチ米を間一髪で入れてもらったという具合である。これがこの日の夕飯であった。まさか食堂が無い街とは。食べ物にありつけただけでも良かったと思うべきか。。。)

 

この宿には一泊だけ滞在。夕方に到着し、翌朝にはボートで別な街へ行く予定であった。中国語しかできない従業員が、工事の作業をしつつ受付を担当していた。何とかコミュニケーションしてお金を払うと、くわえタバコのまま5階の部屋へ行けと言う。エレベーターがないので階段を昇る。夕暮れ時なのに、階段や廊下には電気が点いておらずかなり薄暗い。そして、どの部屋も灯りが点いている気配がない。どうやらこの宿も私以外客がいないようだった。客室ではかろうじて電気を点けることができたが、1フロアに100名くらいは滞在できそうな5階建ての宿に客は私一人というのは、少し不気味である。部屋に無人のベッドが10台もあって、ひたすらだだっ広いのも気持ち良くなかった。そして吹きっさらしの長い廊下を懐中電灯を照らしながらシャワーやトイレに行くのはかなり嫌だった。

 

ベッドにリュックを降ろし、シャワーを浴びて、夕飯のモチ米を食べると何もやることがないので、「早く明日にならないかな」とばかり早めに寝ることにした。10台並んでいるベッドのうち、一番廊下から遠い窓側のベッドを使っていたが、部屋の灯りのスイッチが廊下側にあったので、それを消してから暗闇の中をベッド10台分歩いて自分の寝床まで戻る。そしてこの日の夜は雷雨になった。雨はともかく、雷はなかなか激しい。雷鳴が轟き稲妻が光ると、部屋がパッと明るくなり、ズラっと並んだ空のベッドたちが一瞬見えたりする。これはまるでお化け屋敷だなと苦笑しながらも、ほどなく眠りに落ちた。

 

どうでもいい体験であるが、非日常感のある面白い体験であった。

 

(おわり)

 

↑アタプーの町の住居

↑タイとラオスの国境を流れるメコン川

 

(終わり)