カンボジアとベトナムの旅を終えて、1ヶ月ぶりにバンコクに戻ったのが1994年3月の中旬。日本を出て13ヵ月が経過したが、いよいよ帰国である。バンコクに着いてすぐ日本への帰国便のチケットを買った。帰国は2日後だ。

 

帰国の前日、宿の近くのお寺のベンチに座って、これまでの旅の日々を1泊目から辿って思い出してみた。バンコクの3月は既に真夏の陽気であるが、この日は曇が多く、ベンチは日陰でもあり、過ごしやすかった。1時間以上目をつぶってベンチに座っていたと思う。


帰国するとすぐ大学5年生と就職活動が始まる。3年生が終わってから一年の休学に入ったので、クラスメートたちは社会人生活が始まる。正直、就職活動へのモチベーションはかなり低かった。この旅の中で、正業に就かず何年も旅をする人々にたくさん会ったこともあり、人生急がなくてもという気持ちになったことだけが理由ではなかった。13カ月の旅で訪れたアジア・アフリカ・中東・東欧のほとんどの国々が、大国の植民地や属国だった悲しい経験を持つわけであるが、そのような国ばかりに行ったことで、利益を追い求める経済活動にシャカリキになることが、なんだか不幸を作り出す行為のように思われてきたのが就職活動へ気が向かない大きな理由だった。

 

バンコクからの帰国便は早朝発。飛行機の中でどのような気持ちでどのように過ごしていたかは記憶がない。ただ、夕方に到着地の成田に向けて高度を下げ始めると、日本の風景が見えてきたのは憶えている。整備された耕作地やゴルフ場、埃っぽくないきれいな建物、車が行き交う道路。懐かしい我が国はとにかく整然としていてクリーンということに尽きた。成田空港に降り立っても、どこもかしこも一皮剥けたように清潔である。

 

旅に出るにあたって、知らない世界を見てみたいという純粋な気持ちもありつつ、最大の目的は自己成長だった。果たしてその目的は達成されたのだろうか。確かにいろいろな経験をしたことは良かった。が、正直手応えがそれほどあるわけではなかった。ただ、30年経過して思えることは、この旅が後の人生に大きな影響を与えたことは疑いの余地がない。その後、アメリカの留学を決心した事やなんとか卒業出来たこと、経営コンサルタントといういまの仕事でなんとか20年やってこられたこと、充実したプライベートでの楽しみ方など、この旅なくしてありえなかっただろう。旅をした当初は大した手応えがなかったかもしれないが、30年経った今、この旅が人生最大のイベントの一つであったと心から言える。また、無事に帰ってこられるか分からない旅に出るという、運を天に任せてみたという行為自体に、大きな学びがあった。そしてこれを無事に終わらせられたことは、自分の人生をそれまで以上に肯定的に考えられるようになったように思う。経済活動に参加する気持ちが希薄な無気力的な気持ちになってはしまったが、「人生なんとかなるでしょ」という意味での肯定感は得られた。

 

自宅に到着し、久しぶりに家族に会い、風呂に入って夕食を食べる。バンコクで早起きしたことによる眠さもあっただろうが、あまり家族と明るくお喋りする気持ちにならなかったと記憶している。早々に自分の部屋に戻ってホッとする。なんだか旅をしていたのが夢のようだったような気持ちになった。

 

↑バンコク・チャオプラヤ川に見えるお寺(ワットアルン)

 

(おわり)