サイゴン(ホーチミンシティ)からは、3つの街をそれぞれ2-3泊しながら北上し、首都ハノイまで移動した。この後はバンコクまで飛んで日本へ帰国する予定。旅もいよいよ大詰め。あと3週間というところまで来た。

 

サイゴンからハノイまでは約1,100キロ。東京から佐賀くらいの距離である。ハノイへは2/3は長距離バスで、残りは鉄道で移動した。少なくとも当時の長距離バスは、日本の中古の市内バスを改造したものが多く出回っていた。少し身体が小さめのベトナム人仕様に座席が改造されている。そのような少し狭苦しいバスに人も農作物も家畜(ニワトリなど)も満載される。身長174センチの私はかろうじて大丈夫だが、身体の大きな白人や黒人の旅行者はさぞかし辛い移動だろうと想像される。国道の路面がそれほど悪く、揺れがひどくないのが救いであった。

 

少なくとも当時、長距離バスは家族で運営されていることが多いように見えた。父親が運転手、母親が車掌、子供たちが屋根の上に積載する荷物の上げ下ろし担当といった具合だ。これ以外も、食堂や商店など、ベトナムでは家族で運営されていることが多いような印象があった。別に大した話ではないかもしれないが、顔つきやヘアスタイルなど兄弟がそっくりであることが多く、なんだか微笑ましい思い出として記憶に残っている。朝から晩まで文字通り家族一丸となって生活していると、このようになるのかなと感じさせられた。

 

ベトナム以外の国と同様、長距離バスは数時間ごとに国道沿いの食堂で休憩があった。休憩は狭いバスから解放されるだけでなく、単純に食堂のご飯が美味しく毎度の食事がとても楽しみだった。そう、ベトナムはどこも食事が美味しい。そして運転手は国道沿いの美味しい店を選んでいるのか、休憩で停車する食堂はたいてい美味いところが多かった。さらに、運転手一家は外国人の私を同じテーブルに座らせ、ご馳走してくれることもしばしばあった。運転手は見栄もあるのか、テーブル一杯に食べきれないほど注文していることも多かった。楽しい思い出である。

 

鉄道の移動では、知り合いになったベトナム人の学生と一緒だった。彼は眼鏡をかけてひょろっと背が高く、医者になりたいという物静かで真面目そうな学生であった。フエという古都の街に滞在している時に知り合いになって、彼が同級生らとシェアしている家などを見せてもらったりした。印象的だったのは、鉄道の中で、たまたま彼の向かいの席に座ったおばさんと彼が話を始めたことだ。おばさんは50ー60歳くらいだろうか。ひとしきり話をすると彼はおばさんから紙切れを受け取っていた。後で何を話していたのかと彼に尋ねると、おばさんは医者で、彼の就職先の相談に乗ってあげるとのことで、電話番号を教えてくれたとのことだった。ベトナムには鉄道で偶然出会った見ず知らずの若者を助けるような文化があるらしい。見習うべき健全な文化だ。

 

↑ニャチャンという街の砂浜。広い静かな砂浜が何キロも続く

 

↑ホイアンという街の郊外にて

 

(つづく)