バンコクで10日間滞在し、安くて美味い屋台のご飯とビールですっかり気分よく暮らした後、いよいよ旅の総仕上げとなるカンボジア・ベトナムへ向かった。当時この二つの国は一般のツーリストに「開国」したばかりで、それまではビザを取るのも少し難しい状態であったが、この頃から(やや高価であったと記憶しているが)国境で入国時に取得することができるようになった。

 

まずはバンコクからカンボジア首都プノンペンへ飛んだ。カンボジアは日本の半分くらいの面積に、人口は当時1,000万人(現在は1500万人)ほどが暮らす。タイやベトナムという大国に挟まれつつ、北隣のラオスと並び、東南アジアの中でも最も人口の少ない国となっている。ベトナム戦争あたりから、ポル・ポトによる恐怖政治やその後のベトナム軍による占領状態などが続き、国は荒廃。私が訪れた1994年当時も、バンコクを離陸して小一時間くらい経過し、飛行機がプノンペンに近づき高度を下げると、経済発展著しい煌びやかなバンコクとは打って変わって、乾いた大地に痩せたヤシの木がまばらに点在するだけの、かなり荒廃した様子が空からでも見て取れた。プノンペン市内の中心部でも舗装されていない道や、裏通りにある山盛りのごみ溜めには犬の死骸が放り投げられているように捨てられていたりした。そして街灯も少なく、夜は真っ暗な道も多い。日本では当時200円くらいした煙草(の模造品?)が100円以下で売られていたりもした。CIA FactbookというCIAが発行している世界各国の基本的な情報がまとめられている本があるが、当時出版されたものでのカンボジア評は、政治家に汚職や麻薬の乱用などが蔓延していると書かれていたが、まさに国家は半壊しているような印象を受けた。

 

プノンペンでは5日間ほど滞在。いろいろな国で屋台のようなストリートフードを食べてきたが、プノンペンの屋台は少し躊躇した。薪の火にかけた鍋で炊いていたご飯は美味しそうだったが、ぶった切りの輪切りにした川魚をドカドカと鍋に入れて作ったようなスープは見た目も匂いもワイルドだった。

 

印象的だったのは現在は史跡となっているポル・ポト政権下の政治犯収容施設(「トゥールスレン残虐犯罪博物館」)だ。1970年代の中盤、ポル・ポト政権は残酷な社会主義改革を推進したが、これに反対する市民を「反革命分子」と見なしここに投獄した。ウィキペディアによると、投獄された人はざっと2万人で、数名しか生きて帰れなかったという。元々は高校の校舎であったところを、革命に学校は不要ということで学校教育を廃止する方針をポル・ポト政権が打ち出し、この施設は収容所として使用したらしい。ここが一般開放されているわけだが、どうりで日本の学校の校舎のような造りで、教室を拷問を行う部屋や、収容した人を並べて鎖でつないでおく部屋がある。私が訪れた時は夕方近くで西日が差し込み、部屋がかなり暑かった。また、窓の外には傾いた太陽と熱風にフラフラと揺れるヤシの木が見え、きっと収容されていた人々も同じ景色を絶望的な気持ちで見ていたのだろうなと想像させられ、かなり陰鬱な気持ちになったのを憶えている。また、ある場所ではここで亡くなった数百人と思われる人々の頭蓋骨で形作ったカンボジアの地図があったが、2004年には撤去されたらしい。

 

 

 

(つづく)