1月10日ごろ、デリーからバラナシへ夜行列車で移動。1週間の滞在。前年の3月にバラナシに滞在した時から約10カ月ぶり。バラナシ旧市街の中心近くにある、以前と同じ宿に泊まった。宿の隣はインド中から巡礼者も来るヒンズー教の寺院があり、近所は石畳と迷路のような街並みの風情あるエリアである。宿の周りやガンジス川のほとりを歩いて、旅の序盤戦であった10カ月前を懐かしく思い出した。初めてバラナシに来た時は、街の醸し出す宗教都市としての不思議な雰囲気と非日常感に飲まれそうになっていたが、それも慣れてしまったのか、ただひたすら懐かしいだけであった。それでもゆっくりと1週間滞在した。

 

その後、カルカッタへ。前年2月に旅を始めて11カ月。中東・東欧・アフリカをぐるっと回り、やっと旅の振り出しの地に戻ってきた。カルカッタの滞在中に何をしていたかほぼ記憶にないが10日ほど滞在した。同じ安宿で知り合ったTさんと二人部屋をシェアし、また、彼もちょうどバンコクへ行く計画だったということで、一緒に行った。Tさんは私より6歳くらい年上で、元自動車会社の社員だった人である。社命でニュージーランドへ赴任したが、思うところあり、FAXで日本の本社に辞表を送り、そのままニュージーランドから旅を始めたらしい。私と会った時には既に2年ほ旅をしていた。Tさんはなかなかの苦労人で、中学の頃には両親はおらず、一人暮らしをしていたらしい。その後、新聞配達をしながら故郷の鹿児島大学を卒業し、さらに京大の大学院に進学した。大学院に進学する時は、応募する前に京都の大学の教官に会いに行き、入学できるようアピールしたらしい。(この大学院の話はとても印象的で、後年私自身が大学院進学を考えた夏休みに京都へ訪れてみた。ただ、これはという教官に会ってもらったものの、全く効果なしであった)。アフリカで会ったS氏とは全く違い、T氏は常識がある。そして心優しい。ただ、怒る時には怒る人のようで、ニュージーランドで旅を始めたばかりの時、たまたま知り合った日本人の女性と少しだけ一緒に旅をしたらしい。その人があまりにワガママだったので、怒りが頂点に達したTさんは、海沿いの防波堤を歩いていた時、「ちょっと海の方を向いてごらん」と言った後、女性の背負っていたリュックを思いっきり足蹴にして、1メートルほど下の海に突き落としたらしい。足蹴にした後、振り向くことなく立ち去ったとのことだった(苦笑)。

 

当時カルカッタからバンコクへの最安チケットはバングラデシュ航空である。バングラデシュの首都ダッカ経由だ。せっかくなのでダッカを少し観光しても良かったのかもしれないが、夜ダッカのホテルにトランジットの滞在をしただけで、翌朝にはバンコクへ飛んだ。ちなみに、旅の振り出しの地はカルカッタであるが、出発時に成田で雪のため飛行機が遅れたことから、カルカッタの前に、バンコクで2泊だけ滞在した。その11カ月前の時に私が泊った宿にTさんと滞在。11カ月前の当時は、畳1.5畳くらいの窓もない暑苦しい部屋に滞在したが、今回はもっと居心地の良い部屋を二人でシェアした。バンコクでは10日間ほど滞在し、ここから先は、カンボジア→ベトナム→タイと周遊して、再びバンコクに戻り、そこから帰国する計画であった。

 

バンコクでは昼間はTさんも私も別々に活動し、夕方になると二人ともなんとなく部屋に戻ってきて、今日はここの屋台、明日はあそこの屋台といった感じであちこちと一緒に食べに行き、部屋に戻って煙草をふかしながら夜遅くまでいろんな話をするという毎日を過ごした。昼間は別々だが晩飯になると、どちらからともなく「飯に行きませんか」となる絶妙な距離感が気持ち良かった。そして、Tさんが以前に訪れていたカンボジアやベトナムの話や、そのほかニュージーランドで旅を始めてから2年間の軌跡など、天井の扇風機がパタパタと回る少し暑苦しい部屋で、夜が更けるまでいろいろな話を聞いた。本当に楽しい時間だった。

 

Tさんとの会話の中で私にとって特に刺激的であったのは、ネパールでのトレッキングの話である。私はバンコク滞在中、中心街まで映画を観に行ったり、とにかく昼間は暑い中何時間も歩き回っていたのだが、「そんなに歩けるならネパールのトレッキングくらいなら余裕で行けると思うよ」と、Tさんが経験したトレッキングの旅について詳しく教えてくれた。私はこれまで海外でトレッキングをするという発想は全くなかったのだが、この話を聞いて「これなら行けそうだ、いつか絶対に行こう」と思い、実際、この翌年に実行した。エベレストのベースキャンプを含む一カ月近いトレッキングだった。そしてその時の経験が、さらに次の年のパキスタンでのトレッキングや、私のその後の人生のアウトドアライフに大きな影響を与えた。

 

↓バラナシの風景

 

↓ガンジス川でサリーを洗う人

 

(つづく)