デリーでは懐かしさもあり、8カ月ほど前に滞在したニューデリー駅の近くの安宿に泊まった。旅の最初の3カ月ほどは比較的居心地の良いインド・ネパールをウロウロしていたが、その後西へ西へと旅する間に、いろいろなことがあり、再びインドに戻ってくると、いろいろなものが以前と違う印象になっていた。デリーの宿もその一つで、相変わらず汚い宿であったが、いろんな環境に晒されたせいか、その汚さはほとんど気にならなくなっていた。インドに戻ってみて印象が変わったものは他にもいろいろあるが、特に印象が変わったのは、デリーの後に訪れるバラナシである。以前訪れた時は、宗教都市の独特な雰囲気や、眼耳鼻舌身の五感への強烈な刺激などで頭がぼーっとしてしまうくらい不思議な心持ちになったが、再び訪れると、その魔法が解けたように普通の街になってしまっていた。理由は良くわからない。また、夜行列車も、以前はあまり良く眠れず睡眠不足がちであったが、デリーからバラナシへの夜行などでは、周囲の寝台の乗客が起き出してきても、一人私はぐっすりと寝続けていた。いろいろな夜行を経験して、だいぶ慣れてきたのだろう。そのような感じで、再びインドを訪れたことで、以前の自分の持った印象の違いを感じるのは楽しかった。
さて話をデリーに戻すと、まず消えたリュックを取り戻すのが急務であった。デリーに到着した晩の翌日、さっそく都心のパキスタン航空のオフィスを訪れ、荷物の所在を確認する。残念ながらまだ手がかりがないとのこと。一応宿の電話番号を置いていき、見つかったら連絡するようにお願いする。が、どうぜ電話は来るまいと思ったので、それから毎日、航空会社のオフィスを訪れて、荷物の所在の確認を促した。3~4日くらいすると、さすがにもう出てこないような感じがしてきた。すると、オフィスの職員が念のためデリー空港にある荷物を保管する倉庫に行ってみてはと提案された。もしかしたら荷物が届いている可能性があるとのことだった。どうぜ時間は有り余るほどある。私はそこからすぐバスに乗って空港に向かった。都心からの所要時間は1時間くらいだったろうか。
空港ではいろいろな人に道を尋ねながら、迷子の荷物を保管する倉庫に辿り着いた。そこは25メートルプールくらいの大きさの天井の高い部屋で、床から天井ま部屋の全面が荷物を保管する棚になっており、色とりどりで大きさも様々なスーツケースやカバンが隙間のないくらいギッシリと保管されている。迷子の荷物というより、誰も受け取りに来ない荷物を仕方ないので保管し続けるような部屋である。部屋に入った瞬間「荷物の墓場」という言葉が頭に浮かんだ。倉庫の職員に事情を話すと、勝手に探せという。私は、天井近くの棚は梯子を使ったりして、一つ一つ丹念に確認していった。小一時間もするとすべて確認し終えたが、見つけることはできなかった。
その後も、毎日都心の航空会社のオフィスに行った。そして2-3日するとまた空港の「荷物の墓場」にも行ってみたりした。やはり見つけることはできない。このような感じで10日くらい経過すると、さすがにかなり諦めムードになってきた。どこかで見切りをつけなければならないなと考え始めた。が、そんな矢先、宿にいると、部屋に従業員の兄ちゃんが入ってきた。パキスタン航空から電話だという。急いで階下のレセプションに行き、受話器を取る。電話が遠くて何を言っているか分かりにくいが、どうやら荷物が発見されたらしい。デリー空港の「荷物の墓場」に行ってほしいとのことだった。
急いで空港に行くと、倉庫の前の廊下に私の荷物が立てかけてあった。「おおっ!」と思わず歓声を上げた。リュックに付けていた鍵もしっかりかかっていて開けられたような形跡もない。ただ、かなり長い間、重量のある荷物の下敷きになっていたのだろうか、リュックは全体的に一回り薄く小さくなっていた。私もいろいろ心配したが、リュックも苦労したんだな、というような感情が湧いてきた(苦笑)。
倉庫の職員の話によると、経由地であるパキスタンのカラチ空港で、荷物をムンバイ行きの機体に乗せ換えるところが、なぜか東京行きの機体に乗せてしまったらしい。私の荷物は一足先に帰国してしまったのだ。そこからまたカラチ経由でデリーまで戻ってきたということだった。元々の行先であるムンバイではなくデリーに荷物を届けるように依頼したことが、話を少し複雑にしてしまったかもしれないが、どこでどのようなことがあると10日かかるのか合点がいかなかった。が、そんなことはどうでもよい。荷物は戻ったのだ。
ちなみに荷物の中には貴重品の類は一切ない。衣類や書籍やカセットテープなど雑貨のようなものばかりだ。だから最悪無くなってしまってもそこまで痛手ではなかった。もし完全に紛失してしまったとしたら少し痛恨かなと思われるのは、書き溜めた日記帳だろう。デリーの時点で大学ノート6冊目くらいになっていたと思うが、これが永遠に消滅してしまうのは少し寂しいといえば寂しい。
さて、荷物も戻り、10日間の滞在を余儀なくされたデリーにこれ以上留まる理由はなくなった。ということで、さっそくバラナシ行きの夜行列車のチケットを買った。バラナシで1週間ほど過ごした後、安チケットの入手できるカルカッタからバンコクに飛ぶ予定であった。
↑ニューデリー駅近くの商店街にある路上八百屋が並ぶエリアにて。この天秤を持った姿を是非写真に撮ってくれと言われて撮った。
(つづく)