ケニア国境から牛を輸送するトラックに乗って3日目。赤土の道と、低木と草の茂みが点在する殺風景な景色は相変わらず。ただ、3日目も午後になると道がドロドロになってしまっている場所はほどんどなくなる。1~2日目は本当にひどい場所があった。何台ものトラックが泥道に突き刺さったまま微動だにできない状態のままでいるトラックの墓場のような場所もあった。そのトラックの傍らで、トラックを泥から引っ張り出すことができず、万策尽きたのか大の字でフテ寝してまっている運転手がいたりした。あのトラックたちは無事に街まで辿り着けたのだろうか。そう思うと我々のトラックも色々あったがまだマシな方であった。最終的にはコンスタントに時速60キロ以上で快調に飛ばしていたと思う。最も早い想定よりは一日余計に時間がかかっているが、3日目こそはイシオロの街に到着できそうだということで安堵した。イシオロから先、ナイロビまでの道は舗装されており、エアコンの効いたバスもある。トラックの荷台の檻に掴まっての3日間の旅もいよいよ終わろうとしていた。少ししんどかったが、終わりが見えてくるとあと2-3日はこのまま行けそうな気がしてくるから不思議だ。

 

夕暮れ時、30メートルくらい離れたところにキリンの群れを観た。長い首をゆっくりと前後に振りながら優雅に走る。野生のキリンが走っている姿を直に観たのはむろん初めてだ。同乗の牛追いの少年たちもテンションが上がっていたので、地元の人にとっても少し珍しいようだ。野生の動物にはそれほど興味ない私であるが、この時は大地が珍しいものを見せて、我々を労ってくれているように感じた。陽が沈んでもトラックは2時間ほど走り続けた。そのうち路面はアスファルトに変わり、いよいよトラックはイシオロの街に入った。時刻は午後8時過ぎ頃だったと思う。地方のけして大きくない街でもあり、明かりは少なく街全体は暗めだったが、区画され、住宅がみっしりと立ち並ぶ。まばらながらも白い蛍光色の街灯もチラホラ。久しぶりの街であった。

 

街の中にあるガソリンスタンドで降ろしてもらった。トラックが停車したあと、コンクリートの地面に飛び降り、その固さを足の裏で感じる。文明のなせる固さであった。「ああ、やっと終わった」という実感が込み上げてくる。近くに手ごろな値段の宿があったので、そこに泊まることにした。何か食べた気もするがよく憶えていない。とりあえずシャワーを浴びてぐっすりと寝た。

 

翌朝ナイロビ行きのバスに乗り、午後の早い時間に無事到着。快調な移動であったが、なんとなく車体が左に傾いているのが終始気になった。カーブに差し掛かると、スピードを落とさないせいもあり、本当に倒れそうなくらい車体が傾き、生きた心地がしなかった。が、他の乗客は何事もないような顔をしていた。ナイロビではニャンダルワという日本人のバックパッカーの間で定宿のようになっている安宿に泊まった。都心といえるエリアにあり、それほど治安の良い地区ではなさそうだが、付近にパキスタン人が経営するカレー食堂や、雑貨屋・売店などもあって、住むのに便利な場所であった。「さあここでしばらくゆっくりするぞ!」と意気込んだ。それなりに疲労が溜まっているうえ、エチオピア・ケニア北部の移動を通じて旅をやり切った感じになっていた私は、この日から年末までの3週間、気の抜けたように休息の日々を過ごすことになる。

 

↑宿の窓から見えるナイロビの風景

 

(つづく)