さて、前回Sさんの話をしたが、またエチオピアの旅に戻そう。

 

エチオピアでの旅の生活は他にはなかった厳しめの側面があることはこれまで記したが、ヒッチハイクによる移動の素晴らしさでこれまでになくテンションが上がっていたのも事実である。その勢いで、ひとつ歩いて移動してみようではないか、ということになった。歩きでの移動は、イスタンブールでイギリスを縦断したバックパッカーと出会ってから、いつかやってみたいと思っていた。どうやら次の村までちょうど良い距離の20キロくらいらしい、では今日やりますか、とその日の朝に決めて実行した。天気は晴れ。ここのところ毎日晴れなので、きっと今日も晴れだろう。山の中とはいえ、車両が通る一本道をひたすら辿って行くだけなので、迷子になることもあるまい。とりあえずペットボトルに湯冷ましを満タンに入れてもらったので、あとは、集落を通過した時に水や食料を分けてもらえるだろう。そのような頭の中で出発した。

 

朝8時頃に出発したと記憶している。歩き始めると、久々の運動はかなり気持ち良い。エチオピアの旅は生活面での厳しさはありつつ、体力面という意味では、毎日朝から晩までトラックの背に揺られ煙草を吸いながら安穏に旅をしていたといえなくもなかった。滞在していた村々は、ヒッチハイクをする街道沿いに住居や食堂・雑貨屋などが数軒あるだけのこじんまりしているところばかりなので、朝起きて、宿泊した場所の前でヒッチハイクをし、夕方滞在する村の中心でトラックを降ろしてもらうと、村で唯一の宿はその付近にあるという具合である。重い荷物を背負って安い宿を探して歩き回ることもなく、宿から駅やバスターミナルまで歩く必要も皆無であった。一言でいうと運動不足であった。

 

ところが、この日は少し暑かった。最初こそ久々の運動にょり鈍った身体が蘇るような気持ちになったが、1時間も歩くとしんどくなってきた。まず長時間背負いなれていないリュックにより肩が痛くなってきた。リュックを頻繁に調節してみるのだが一向に改善しない。山坂はなく平らな道が続くので、足腰への負担は少なかったが、とにかく喉が渇いてきた。水は白湯が入った1.5リットルのペットボトル1本だけである。途中の集落で補給できるまでは節約しなければならない。が、2時間くらい歩いても集落が現れなかった。水分を補給できないのは本当につらい。この旅でも何度も経験したではないか。反省が活かされていない。

 

喉の渇きの次は、空腹である。お昼過ぎくらいになると、空腹で本格的に力が出なくなった。エジプトで買ったハチミツがあったので、これを少し口にする。これが意外にも元気にならない。他方で喉の渇きが増してしまった。おそらく糖分などのエネルギーというより、やはり水や電解質などの補給がまず必要であったのではないかと思う。なにしろ暑いのだ。

 

午後は喉の渇きと空腹により休憩の頻度が増え、一回当たりの休憩も長くなった。(以前記した、Tシャツを虫干していたらタグにダニが卵を産んでいるのを発見したという話もこの時のことである)。人の住む集落は出現しない。小川が近くを流れていることがあったが、水牛が水浴びをしているドロドロの川でとても水分補給は無理だった。脚を冷やそうと膝まで浸かってみると、ぬるくてあまり効果がなかった。午後に2台ほど車が通って、乗っていけと声をかけられた。さすがにリタイアは悔しいので丁重に断りつつ、水はないかと尋ねたが、持っていなかった。本当に残念な気持ちだった。

 

夕方4時頃だろうか、だんだん雲が多くなってきて、あたりも涼しくなってきた。同時に身体も少し楽になってきた。その頃に、人が現れはじめた。羊飼いのおじさんとかではなく、遊び回っている村の子供らである。我々を取り囲む子供たちの数がだんだんと増え、そのうち、村に派遣されているという政府の役人の青年が現れた。英語が堪能で、聞けば、どうやら目的地の村はあと1キロほどだとわかった。そうと聞くと私はすっかり元気になった。喉の渇きと空腹でヘロヘロな状態であったのに、いったいどこにこのような元気が残っていたのだろうかと自分でも不思議に思うほどであった。

 

この日は、役人の青年が借りている部屋を提供してくれるという。自身は友人の家を使うので、自由に使ってもらって良いと。1DKの平屋で、床は土のままという粗末な造りで、便所も家屋の裏の茂みのあたり、というエチオピアのド田舎の典型的な感じであったが、電気も通っているし、最低限の調度品などもあり、何しろ役人というだけあってこぎれいであった。一人暮らしなのでベッドは一つ。それをSさんとシェア。これはこれまでの宿でもあったことで問題なし。シャワーは村の共同のようなものがあり、そこを使わせてもらった。すでに日が暮れかかっていて、詳しくは良く見えなかったが、木造の建物に狭いブースのような空間があり、天井付近から水が落ちてくるような感じであった。薄暗いブースの中で、「あー助かったー」と思いながら顔をゴシゴシと洗ったと記憶している。その晩に何を食べたかは覚えていない。とりあえず翌日は休憩の日として、この村に2泊することにした。

 

↑歩いたエチオピアの田舎道

 

↑滞在した村の家屋

 

(つづく)