エチオピアの旅に同行したSさんについて少し述べる。

Sさんは以前も触れたが、エジプトのカイロの宿のドミトリーで私の隣のベッドに居た人である。その後、エリトリアの首都アスマラで偶然再会し、以後エチオピアの前半を一緒に旅することになった。エジプトのカイロの宿では1か月あまり隣同士にいて、エリトリアとエチオピアでは10日間ほど一緒に旅をした。実はその後、ケニアのナイロビでも同じ宿のドミトリーで10日間ほど過ごすことになるので、合計50日というかなり長い間一緒に過ごした人である。

 

Sさんは私より3つほど年上であった。名古屋大学の理系を卒業し、外資の飲料会社の研究職として就職したが、ドストエフスキーが好きで、もともと作家を志望していたこともあり、すぐ退職して旅に出た。私とカイロで会った時にはすでに1年半ほど旅をしていたはずである。やせ型でソフトな語り口であり、いつも黒やダーク目のTシャツと半パンという落ち着いた格好をしていて、物事に動じない豪胆なタイプ。作家を目指すにあたって、いろいろな経験が必要と考えていて、たくさんの武勇伝があった。カイロで夜中にピラミッドに登りにいった時は、私は警察につかまって断念したが、Sさんは顔色一つ変えず逃げおおせて、無事に登頂してきた。

 

また私以上に節約して旅をしていた。カイロの宿では誰かのシケモクを、まだ葉が残っているからと灰皿から拾って吸っている姿を良く見かけた。清潔感のある人だったが、衛生面にはあまり頓着していなかったように思う。衛生面に頓着しない結果もし病気になっても、それも経験の一つであると捉えてしまうことだろう。他方、お金を使うときはしっかり使っていて、時に高額となりうる賭けトランプにも参加していたし、カイロのカジノに行ったときは、何百ドルという大金を一気に使ったりしていた。また、飲料会社の研究者時代は、会社の寮生活ながら、ハイエンドのオーディオに100万円近いお金を投じていたらしい。ギャンブルや音楽など快楽に通じるものには糸目をつけずにお金を投じるようであった。

 

Sさんとはエチオピアに一緒に入国し、お互いなんとなくヒッチハイクで移動しましょうということになった。食事が美味しくないこと、キレイな飲料水が手に入りにくいこと、ダニの襲来や子供たちの襲来など、私がネガティブに感じていたことは、Sさん的にとっては面白い話題が増えたくらいにしか考えていないようだった。他方、高所恐怖症的なところがあるのか、ヒッチハイクしているとき、トラックが崖っぷちのような山道を通る時は、「これはなかなか大丈夫ですかね・・」とソフトな語り口ながら、めずらしく少しビビッていたようだった。よくそれで夜中にピラミッドに登ったなと思う。豪胆のようで少し無理をしていることもあったのかもしれない。

 

つかみどころがないところもあった。ヒッチハイクを始めて数日後のこと、ある田舎の村で地元の人の家に泊めてもらったことがあった。政府から長期出張で派遣され、この村で家を借りて仕事をしているという若い役人が、自分の借りている家を親切にも我々に貸してくれたことがあった。(ご自身は友達の家に泊まらせてもらうので、1-2泊であれば自由に使ってもらって構わないということだった)。ただ、なぜか夜眠れなかったらしく、土間でマッチを積み重ねてキャンプファイヤーのような火遊びをしてみたり、それに飽きると、全く意味不明なのだが、卓上電気スタンドの電源コードをハサミで切ってしまった。翌朝「実はこんなことになってしまって」と相変わらずソフトな語り口で顔色も変えず、コードが切れた電気スタンドを私に見せた。驚くとともに呆れてしまっが、Sさんは「このまま持ち主には何も言わずにおいても大丈夫でしょう」と悪びれる様子もない。このまま立ち去るのはありえないと思ったので、私から持ち主に謝った。謝るのはよいのだが、意味不明の行為なので、説明が苦しかった。「間違えて切ってしまった」としか言えなかった(苦笑)。持ち主も呆気にとられ終始首をかしげていた。

 

Sさんと一緒に旅をしていると、時折このような不可解な行動がある。話題には事欠かない人であるが、実際一緒にいるとハラハラさせられ、少し疲れてしまうこともある。また、私はとにかく早めにエチオピアを出たくもなっていたので(他方でSさんはゆっくり旅したいと思っていた)、エチオピアに入国して1週間ほどすると、先を急ぎたい私はSさんと別行動することにした。

 

ただ、上記のとおり、Sさんとはケニアのナイロビで再会し、また10日ほど同じドミトリーで過ごす。その後、私はナイロビからインドのムンバイに飛んだ。1995年の元日のことで、Sさんは宿の入り口まで見送りに来てくれた。その日は快晴。別れ際、笑顔のSさんと握手しながら「この破天荒な人は無事に旅を終えられるのだろうか」と少し不安になった。それがSさんと会った最後であった。

 

↑ヒッチハイクをした時に通過したエチオピアの村。トラックの屋根の上から撮っているので目線がやや高い

 

(つづく)