前回に続き、カイロでの50日間の様子を書いてみる。

 

もう時効だろうから告白するが、最初の2週間くらいは同室の気の合ったメンバー3~4人と旅の情報交換をしながら毎晩徹夜で賭けトランプ(ブラックジャック)に興じた。夕飯後くらいから明け方まで煙草を吸いながら6-7時間ノンストップである。明け方になると近所で買ってくるファラフェル(中東のサンドイッチ)を頬張ってから眠りにつき、また夕方頃に起き出して夜トランプという生活の繰り返しである。(この部屋に新しく来た旅行者は、我々の生活を見て「なんだコイツらは」とびっくりしたと言っていた。この人もすぐにメンバーになるのだが)。貧乏旅行者ゆえ、掛け金といっても数十円単位というつつましいものであったが、それは最初だけ。私が大学でやっていた親が連続すると掛け金が倍々になるというルールを取り入れたおかげで、時に数千円くらいのお金が一回のプレイで動くことがあり、一晩で数万円お金が動くこともあった。私は終始ついていて、通算で5万円以上勝ったと思う。他方、10万円以上スってしまい、旅の予定を変えてアジアに戻ってしまった人もいた。(ただし、損失の半分くらいは「バンコクから送金するから」という即座に嘘とわかる言い訳を信じてあげることにして、実際には徴収されることはなかった・・)。一泊200円の宿の住人達であったが、賭けトランプとなるとうっかり日本基準に頭が戻ってプレイしてしまう。加えて、娯楽の乏しい生活の中、倍々ゲームで射幸心をあおるような行為には、ついのめり込んでしまうような、少し頭が混乱している状態だったかもしれない。ただ、旅の計画を狂わせてしまうほどのめり込むのはやり過ぎだったかもしれない。「犠牲者」が出たあたりから、徹夜のトランプはなんとなくお開きとなった。

イスラム教スーフィズムの舞踊を何度か観に行ったりもした。文化復興の一環のようで、宿から一時間くらい歩いたところにある市民ホールのようなところで夜7時半から無料で鑑賞できる。確か一時間くらいの公演であったが、クライマックスは男性の演者がスカートのようなヒラヒラした衣装を遠心力ではためかせながら、かなりない間(おそらく15分以上?)、フィギュアスケート選手の回転のように、その場で身体をグルグル回し続け、忘我の境地に至るという演目。ひたすら回り続け、ただただ平和な時間が流れるのであるが、最後の最後に歓喜を表現したような踊りになってフィニッシュ。かなり回り続けた後の歓喜のパートでは、よろけてしまうのではないかと心配になるが、コツを心得ているようで、うっとりとした表情さえ浮かべながらちゃんと歓喜を表現しきっている。かなり地味であるが不思議な見応えがあり、なんとなく思い立つと他の旅行者を誘って観に行った。これを観ていると瞑想状態になるのか、観に行った晩はなんとなくよく眠れる気がした。
 

そのほか、半日旅行のような感じでバスに乗って地中海の港町ポートサイードにフラッと行ってみたり、早朝にラクダ市を見学に行ったりした。旅の間は毎日日記をつけていて、日常のことや思ったり感じたことをなんということもなく書き続け、13カ月で10冊を超えるほどになったが、さすがにこの頃になると書くことも少なくなってきたと思う。気ままな時間を過ごしていたが、次に行くスーダンのビザも取れると、そろそろまた動き出さなくてはと思った。8月の下旬にカイロに来たが、すでに10月の中旬に差し掛かり、地中海性気候に属するカイロは少しずつ涼しい季節になってきていた。たっぷりと休憩もした。そろそろ出発の時であった。

 


↑ラクダ市。スーダンから砂漠を越えてやってきたらしい。ラクダは一頭10万円くらいらしい。

 


↑ラクダ市の中にあった羊肉の食堂。羊をフックで吊って、手際あっという間に捌いてしまった。

(つづく)