トルコの次は中東の国々へ南下する予定であったが、イスタンブールに一週間ほど滞在した後は、少し東欧に寄り道することにした。イランととトルコの国境で東欧のトラックを見てからというもの、少しでも地続きの東ヨーロッパを見ておきたいと思ったのだ。

 

最初の目的地はトルコの隣のブルガリア。前回のブログ(20回目)でイスタンブールから周辺のたくさんの国に向けてバス路線があることに触れたように、イスタンブールからブルガリアの首都ソフィアなどへ直行する便利なバスも存在する。料金もおそらく40-50ドルくらいだったと記憶している。だが、国境を超える国際直行バスを使うより、国境までバスなどで辿り着いて、その後に歩いて越境し、入国後にあらためて別の交通手段で首都へ行くなどのように刻んでいくと、面倒くさいが遥かに安く済む。(おそらく10ドル以下)。貧乏旅行者としては迷わず「刻む」アプローチを採った。

 

ただ、イスタンブールからバスで国境近くの街に到着してみると、実際の国境まではまだ数キロあった。ここからは公共の交通機関がなかったことから、ヒッチハイクしなくてはならなかった。その後、ブルガリアへの入国自体は全く問題なかったが、ブルガリア側でも国境から最初の街まで少し距離があった。ブルガリア側ではヒッチハイクをしようにも誰も載せてくれなかったため、しばらく歩いた。すると小さな町に辿り着いた。ただ、乗ろうと思っていた鉄道駅がある場所は少し距離があるらしい。私はその辺に歩いている人をつかまえようとしたが言葉が通じない。またトルコ以東のアジアの時のような親切さが希薄で少し冷たい。それでも少しすると何人か人が集まってきて、どうやらこの東洋人の若者が鉄道駅に行こうをしているらしい、ということは理解してもらえた。が、駅までの道順を私に理解させることができない。どうやらバスに乗る必要があるようだ。

すると集まってきた人だかりにいたおじさんが話しかけてきた。おじさんは上半身裸で、肌が浅黒く、胸からお腹にかけて大きな入れ墨を入れている。入れ墨といってもなにやら十字架と模様のようなものが濃い緑色の単色で描かれているだけでとても質素。手には長い棒のようなものを持っており、もう片方の手はバケツを下げている。そして私はおじさんの顔を見ると少し驚いてしまった。どこか見慣れたその顔つきは、つい数か月前まで滞在していたインドの人の顔そのものだったからである。ブルガリアは基本的に白人である。なぜブルガリアにインド人が?

おじさんはとりあえず鉄道駅まで案内をしてくれるとのことなので、ついていくことにした。インドであればチップを請求されるパターンであるが、そのような様子はなかった。むしろ大変礼儀正しい。どうぞこちらへという感じで、少し芝居じみていたが恭しいジェスチャーでまるで僕を貴人のように扱ってくれた。おじさんもちょうど鉄道駅の方へ向かうところであったらしい。一緒にバスに乗って駅まで連れて行ってくれた。駅に着くとそれではとどこかへ行ってしまった。

ちなみにおじさんがインド人顔である理由は何年後かに分かった。どうやらおじさんはロマ(ヨーロッパ中にいるジプシーと呼ばれる人々)であるようだ。ロマの起源は諸説ある。一つはエジプト起源説である。エジプトから流れてきたから、「エジプト」という名称がなまってジプシーと呼ばれるようになったとか。もう一つはインド起源説である。私はおじさんを一目見てインド人だと思った自身の体験を通じ、絶対にインド起源説であると思った。

 

無事に鉄道に乗り、プロブディブという地方都市まで移動した。各駅停車で2-3時間くらいであったろうか。ブルガリアの鉄道はインドのようだった。列車もかなり使い古されているし、とにかくよく揺れる。料金もインドなみで、丸一日近く乗っても500円くらいのようだった。車窓に廃墟と思われる工場や施設をたびたび目にした。私が訪れた1994年当時は、ソ連が崩壊し東欧の国々も次々と体制を変化させつつある時期であったが、目にした廃墟は共産主義の負の遺産なのかなと想像した。プロブディブには夕方到着。

 

↑おそらくプロブディブの教会

 

(つづく)