黒海の街トラブゾンには早朝に到着。街の風景も歩いている人もヨーロッパにかなり近い。インドから来た者としてはヨーロッパそのものと言ってもよい。また街中ではロシア語の看板を頻繁に見た。ロシア人が遊びに来る観光地でもあるようだ。私のものを見る目が肥えていないからだと思うが、トラブゾンでは特に面白くもない街だという以上の感想が出てこなかった。街はきれいだが暑苦しく騒々しくも気楽なインドが懐かしくもあった。ここでは1泊だけして、翌日にはさらに夜行バスに乗ってイスタンブールへ向かった。

 

イスタンブールでは、バックパッカー向けの安宿が集まるエリアに1週間ほど滞在した。ここで東欧の情報を収集したり、次に向かうブルガリアのビザを取得した。それ以外はブラブラしていたが、いま思えば意外と良い刺激のある時間であった。以下、思いつくままに記してみる。

 

イスタンブールはヨーロッパとアジアが交錯する文明の十字路であると中学か高校のころ習った。様々な地域から人が集まる大変コスモポリタンな街である。街にはロシア人街、ポーランド人街などと呼ばれる地区があるが、コスモポリタンさが大変分かりやすい場所としてバスターミナルがある。ここからのバスの行先が実に多彩なのである。私が訪れた1994年当時、150くらいのバス会社がバスターミナルに入っていて、ざっと憶えている限り、ロンドン含む西欧諸国の都市、ポーランドのワルシャワやチェコのプラハといった東欧諸国の都市、モスクワやウクライナのキエフといった旧ソ連諸国の都市、シリアのダマスカスやヨルダンのアンマンといった中東、果てはカイロのようなアフリカの都市などが行先としてあった。空港のような場所ももいろいろな行先があるが、より庶民が日常に使う交通手段であるバスでこれだけの多彩な行先があるということは、多彩な国・地域との人の交流が当たり前のように根付いていることが窺えるようで、島国日本の出身者としては、心底感銘を受けた。

 

このような街で、私は盛んに歩き回った。街歩きが楽しかったということもあるが、それ以上に歩くという行為自体に熱中した。その理由は、イギリスを歩いて縦断した日本人のおじさんに出会ったことだ。そのおじさんは当時35歳くらいで、10代のころは暴走族、20代のころはひたすらトラックの運転手をして金をためて、30代になって放浪の旅に出たという。その放浪の旅の中で、イギリスを歩いて北から南へ縦断したということだった。確か毎日30キロくらい歩いて、1か月以上かかったと言っていたように記憶しているが、とにかくも、歩いて旅をするスタイルに大変大きな感銘を受けた。そんなスタイルがあるのかと、旅の視野が広がった。私もいつかそんな旅をしたいと思ったし、この旅においても部分的に歩いての移動を取り入れてみようなどと考え始めた。そしてそれを実現するためにも、毎日30キロくらい歩けるように訓練しなくてはと思った。そこでウォーキングシューズを買って(この旅では終始サンダルであった)、街を歩き回ることに熱中した。イギリス縦断の旅を聞いて、いてもたってもいられず歩き回ったというわけである。

これは後日の良いきっかけになった。イスタンブールから数か月後に訪れたエチオピアの奥地では、村から村へ歩いて旅をした。またそのさらに数か月後にバンコクを訪れたときは、暑い中ではあったが毎日15キロくらい街を歩き回り、その時に部屋をシェアしていた日本人旅行者から「それだけ歩ければエベレストベースキャンプまできっと歩けると思う」と言われた。この人は、ある自動車会社に勤めていた方で、赴任先のニュージーランドで会社を辞めて、そこから旅を始めてすでに3年くらい経っているという人で、その間、エベレストベースキャンプまでのトレッキングを含め、いろいろな旅の経験がある人だった。当時エベレストのベースキャンプなど私にとって夢のまた夢のような感じであったが、この人の言葉により、自分にとってかなり身近になり、益々歩き回るようになり、結局その2年後にエベレストベースキャンプまでの1か月近いトレッキングを実行した。そして、その翌年にはパキスタンのヒマラヤにもトレッキングに行った。それ以降も、私の旅スタイル含め、かなり大きな影響を与えたが、このイスタンブールでの出会いに端を発している。

 

イスタンブールにはカジノがある。あるカジノでは、食事・アルコール含む飲み物・煙草などが無料であった。日本人の貧乏旅行者がどこからかこの話を聞いてきて、当時旅行者の間でカジノでのタダ飯が流行った。あまりにやりすぎてカジノ側が憤慨したのか、後日日本人のバックパッカー風の若者は出入り禁止になったようだが、私が行った頃は、入口でパスポートを見せると、ギャンブルするか否かにかかわらず、フリーパスで入場可能であった。(カジノに行くと、スモークサーモンやオリーブといった軽食を頬張ったが、イスタンブールはそもそも物価が高くなく、わざわざカジノに行かなくても、一食100円くらいでも十分満足のいく定食があったし、宿の近所の食料品・雑貨屋で売っている瓶ビールも30円くらいだった。ただ、貧乏旅行者にとっては無料で食べ物を入手すること自体が良いことなのであった。)

 

↑イスタンブールのサバサンド屋を売るボート。ボスポラス海峡を挟んで、こちらはヨーロッパ側、向こうに見えるのがアジア側のイスタンブール

 

(つづく)