ペシャワールからは山間部を300キロくらい北上。チトラルという街を経由し、さらに乗り合いジープで3時間ほどのカラシュ渓谷を訪れた。ここは以前は「北西辺境州」と呼ばれる地域で、アフガニスタンとも近く、タジキスタンといった中央アジアの国々も遠くない。辺境と呼ばれるに相応しい場所にある。

 

 

↑ペシャワールからチトラルへ向かう山間の路にて。峠付近は氷河を横切る。交通機関は日本製のバン。氷河から流れる川にハマってしまって乗員乗客一丸となって車を脱出させようとしている。

 

カラシュ渓谷は大変風光明媚で、私が訪れた5月は青々とした麦畑?が渓谷を通り抜ける風に揺れていた。平地のパキスタンが5月の酷暑期でも、ここは大変涼しく過ごしやすい。夜半から早朝にかけては少し寒いくらいである。

 

ここにはカラシャ族と呼ばれる、低地のパキスタン人とは民族的にも文化・宗教的にも異なる少数民族が住んでいる。(アレキサンダー大王の東征の際の後裔という説もある。)

男性はパキスタン人と同じような恰好だが、女性は黒地に赤や黄色の刺繍や貝殻で装飾された美しい衣装を着ている。(農作業中もこの衣装を着ている)。
 

↑村祭りでのイベント開始を待つ女性とそれを仕切る男性

 

↑村祭り会場へ移動する村人

 

↑村祭りの会場となる広場で何かを食べている女性たち

 

↑女の子も身体のサイズにあった衣装を着る

 

↑村の男たち。混血が進んでいるのか目の色も肌の色も顔つきもいろいろ。

 

この渓谷には小さなゲストハウズは2-3つ。私は1週間ほど滞在することにした。泊った宿は他に客もおらず、ノンビリ静かに過ごす。散歩するのにも飽きると、紅茶を飲みながら村の子供たちを観察していた。上の写真の真ん中の後ろのほうにいえるグレーの服の小さな子は、夕方になると家の手伝いで薪を切る。どうみても小さな身体には不似合いな大き目の斧を振り回すので危険なことこの上ない。ある時は、斧を頭上に振りかぶった拍子に、大きな刃が柄からはずれ、ドンっと鈍い音を立てて地面に食い込んだ。思わず駆け寄ったが、本人は至って平気で、笑顔で刃を柄に取り付けてからまた振り回しはじめた。柄から刃が外れるなんていつものことらしい。たくましい。
写真の右から二人目の青年は、宿の長男なのだが、私が早朝に用事があって彼の部屋に行くと、起きたばかりだったのだが、上半身裸であった。私にはかなり冷え込む夜であったが、寝るときはいつもこのスタイルらしい。慣れとはいえ、冷え性などとは無縁の大変健康的な人たちである。

写真の一番右の子は、私がいる間に坂道を転げて顔を地面にぶつけてしまい、大きく腫らしていた。ある日の夕方に村人に怪我人がいるとのことで呼ばれて、近所の家に行くと、顔が腫れた彼が大泣きしていた。打ち身なので冷やすのがよさそうだったが、私は消毒液しか持っていなかったので少し擦りむいていた頬につけてやったら、喜んでもらえた。

写真の左の二人は、理性が瞳に宿っていそうな写真のとおり、聡明な子たちで、上手な英語で村のことをいろいろ教えてくれた。将来は村を背負って立つのか、出稼ぎに村を出てしまうのか。

 

(つづく)