バラナシは細い迷路のような路地に人もバイクも牛もワイワイと通る。あたりは排ガスや牛の糞や商店から漂うお香の匂いが充満する。バイクのクラクションがひっきりなしに鳴る。朝の薄暗い時間から宿の隣のヒンドゥー寺院を訪れる巡礼者の一団がワサワサと足早に歩く音や、巡礼者たちが次から次へと手荒に鳴らす鐘の音が響く。インドは総じて眼耳鼻舌身意への刺激が強めで、頭がやられてしまいがちだが、バラナシの旧市街ではことのほかそれを感じる。ここに来た朝に感じた頭がボーッとした感じは滞在中ずっと続いた。それでも滞在中は毎日飽きずに散歩に出た。段々と心地よくすらなってきた。

 

 

↑バラナシの旧市街

 

毎日とりあえずガンジス川沿いのガードを散歩したが、ある晴れた日に対岸まで泳いだ。川幅はおよそ200メートル前後くらいだろうか。バラナシの対岸は不浄の地ということで、基本的に一般の人は住んでおらず、草っ原のような風景が続く。立派な石造りのガートが数キロにもわたって造られ、建物と人や牛がひしめき合っているこちら側とは全く異なる。

今日は泳ぐぞと心に決めた朝,タオルを持って宿からガートまで歩いてやってきた。目指す対岸を眺めながらTシャツと海パン姿になって、そろりと川に足を入れる。まだ午前中のことで、思ったより冷たい。足の裏にコケのヌルっとした感触がある。あまり気持ちの良いものではない、そのまま少し歩き、ある程度の深さになったときに、足を川底からふわりと浮かせて平泳ぎにシフト。そのまま顔を水面につけないように、慎重に泳ぐ。泳ぎは得意なほうだったので、ゆっくり泳いでも10分もすると向こう岸に近づく。あと10メートルくらいまで近づいたところで、恐る恐る足で川底を触ってみると、数十センチはあろうかと思われる厚いヘドロに足がズブズブとめり込んでいった。とても不快だったが、悠久の時を経て積み重なったインドの歴史を足で感じているのだなと妙な気持ちにもなった。このまま際限なくめり込んで足が抜けなくなりそうなので、うまく引き抜いて、そのままターンして元来た岸に戻り始めた。対岸へ上陸はしなかったが、もう充分だと思った。

元の岸に戻ると、置いておいたタオルで体を拭いて、ズボンを穿いて足早に宿に戻り、シャワーを浴びた。他の旅行者からは、インド人は聖なるガンジス川にありがたく沐浴するのに、河から上がってシャワーを浴びている、と笑われた。もっともだ。ただ、私のようにバラナシのガンジス川を泳いだ日本人の旅行者で、目も当てられないほどの酷い下痢になっていた人がいたりしたので、やはり油断はできない。

 

ある日、宿の前に床屋があって、滞在中に一度行ってみた。ドアもない半吹きさらしだか、それっぽい肘掛けのある椅子と、それに向かい合った壁に大きな鏡が2セット設置されている感じは日本の理髪店と同じだ。細かい注文は通じないので、とりあえずよろしくと頼むと、いきなりハサミを思い切りよく入れられる。アレッと思ったが、時すでに遅し。椅子に座りながら外の路を通り過ぎる人や牛の流れをボーっと眺めつつ、しばらくなすがままにされると、10分ほどで超短髪の角刈りのようになった。まあよい。シャンプーなしの純粋なカットのみで10ルピー(約30円)ほど。

 

結局バラナシには10日ほど滞在した。カレンダーは4月になろうとしていた。カルカッタ以降1ヶ月半あまり。インドとネパールを南北にウロウロしていたが、そろそろ西に向かおうということで、お昼過ぎ発の夜行で首都ニューデリーに向かった。バラナシのある北インド一帯は、一年で最も暑い乾季に近づきつつある。バラナシ駅のホームから見上げた空はどんよりと曇っていたのを憶えている。

 

 ↑バラナシのガート

 

(つづく)