カトマンズに2週間滞在している間に日本を出発してから最初の一カ月が過ぎようとしていたが、実はその間、本当に休学して旅できるかわからない状態であった。理由は大学3年次までの取得単位に起因する。簡単にいうと私の取得単位数はギリギリで、このままいくと確実に4年間では卒業できない可能性があった。さすがに休学したうえで更に一年留年するわけにはいかず、その行方を判断できるタイミングが、3年次の試験結果(&それによる単位取得結果)が判明する3月中旬というわけである。
カトマンズから自宅に電話してそれを確認したわけであるが、本当にドキドキした。結果がオーライだと分かった時は本当に安心した。日本を出発して以来ずっと心に引っかかっていたので、これからやっと旅が始まる、などと思って安心した。(ただ、引き続き単位はギリギリであることに変わりなく、休学後に学校に戻ってからかなり真剣に勉強しなくてはいけないことには変わりなかった。)

 

カトマンズの後は、ポカラに5泊ほどして、再びインドへ入国。バスと鉄道を乗り継いで、インドを代表するヒンドゥー教の聖地であるバラナシへ。バラナシ駅には夜中の3時くらいに到着した。その後サイクルリクシャで、その時に同行の日本人旅行者があらかじめ滞在を計画していたというホテルへ一緒に行った。ホテルへ向かう途中、暗くて良く見えなかったが、石畳の細い路地ばかりを通り過ぎていくのが分かった。バラナシの歴史は2500年以上あるようだが、実際に古そうな街だなと感じた。ホテルに到着してもまだ4時前くらいだったので、朝にレセプション担当が出勤してくるまで、薄暗いロビーで待つように言われた。寝不足で頭が重い。ここは各国の貧乏旅行者が溜まる安宿のようで、他にも自分のように朝を待っている白人の旅行者がいた。

この宿は5階建て+屋上がある石造りの大変年季の入ったホテルである。各階にはベッドが6つほどあるドミトリーがフロアの中心にあるが、シングルやツインの部屋も少しある。大変古いが比較的良く維持されていていて、割と広々とした造りで住み心地は悪くない。一泊200円ほどのドミトリーに泊まることにした。レセプション担当の現れた後ドミトリーに案内されたが、まだ少し薄暗くて他の宿泊者も寝ているようだったので、ザックをベッドに置くと、散歩に出た。だんだんと夜が明けてきて、細い石畳の路地の様子が分かり始める。街は3-5階建てのコンクリートの建物(住居もあれば商店もある)に囲まれているが、見上げると少し明るい夜明け空の方向がなんとなくわかり、その方向にあると思われるガンジス川へ向かう。路地はまるで迷路のように複雑だ。10分ほど歩くと、建物の合間からガンジス川と朝日が見えてきた。川のほとりまで行くと、川沿いは何キロにもわたり、ガートと呼ばれる石畳の親水施設となっていて、沐浴をしている人がちらほらいた。寝不足で頭がぼーっとしているのもあってか、不思議の国に迷い込んだような気分にさせられた。いわゆる聖地と呼ばれる場所は生涯初めてであったが、これまでにない場所に来たなという感覚があった。しばらく滞在してみようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)