プーリーで1週間ほどのんびり過ごしてカルカッタに戻った。ここから先は夜行列車とバスを乗り継いでヒマラヤの街ダージリンへと北上。そこで4泊ほど滞在し、さらに夜行バスを24時間以上乗り継いでネパールの首都カトマンズへ向かった。これは当初の計画通りである。(ちなみにネパールのあとは再びインドに戻り、以降はパキスタン、イラン、トルコと西へ向かう予定である。)


カトマンズでは旧市街にある宿に2週間ほど滞在した。大きな窓のあるシンプルだが広々とした部屋にはシャワー・トイレ付で、辛うじてホットシャワーも出る。建物自体は5階建てで、1フロアに10近くは部屋があり決して小さくない。中級レベルであったが、閑散期だったので一泊200~300円くらいだったと思う。(1週間くらい滞在していると一度宿代を清算してくれと言われて、その時も端数を大胆にディスカウントしてもらったので、本当に安く済んだと記憶している)。

ちなみに、この宿に決めたきっかけは宿の従業員による客引きである。その従業員は、私が乗ったバスがカトマンズに到着する15分くらい前の地点から、どこからともなくバスに乗ってきて、私のような旅行者に直接営業するのである。そのまま一緒にバスを降りて、宿に連れていかれ、部屋を見学させてもらって良かったので決めた、という具合である。この従業員含め、宿は20代くらいの田舎出身の若い従業員ばかりで、皆明るく素朴で本当に気持ち良く過ごせた。いま思えば、あまりディスカウントばかりするべきでなかったなと心から思う。


カトマンズ旧市街は総レンガ造りの大変古い建物がそのまま街全体に残る。窓枠の彫刻なども美しく、大変風情のある街である。山間の盆地にひょっこりとある中世の都市のようだ。以前何かの本で中世のカトマンズを描いた絵を見たが、現在とほとんど変わっていなかった。今でこそモータリゼーションの洗礼を受け、裏通りの狭い道まで車が走り回り、気を付けていないと轢かれてしまいそうになってしまったが、私が訪れた90年代ごろまでは、ほとんど車もなく、気ままに街を散歩して地元の人と会話したりブラブラするのが気持ち良い、素晴らしい時間の流れる場所だった。


カトマンズの日々はルーチンの繰り返しであった。毎日朝起きると、街の電気屋で買った電気コイルとステンレスのマグカップでお湯を沸かし、ダージリンでサンプルとしてもらった茶葉を放り込んで紅茶を入れ、携帯スピーカーで音楽を聴いた。紅茶を飲み終わると、散歩に出かける。そのまま市内の寺院に行ったり少し遠出をすることもあるが、近所の店を冷やかして、そのへんの食堂で食事してから部屋に帰ってくることもある。部屋では本を読んだり昼寝したり。カトマンズでは本当にノンビリした。そして無為自然にノンビリして過ごす時間の気持ちよさを初めて実感した。非生産的であることこの上ないが、ここまで朝から晩までノンビリする生活はとても新鮮で、体験としてとても有意義であったと思う。

そんなカトマンズでの日々でのちょっとしたイベントはシヴァラトリというヒンドゥー教の大祭であった。厳密には年12回行われるが、毎年2-3月に行われるのが大きな祭りで、ネパールでは宿から1時間ほど歩いたカトマンズ市街地の東のはずれにあるパシュパティナートという寺院で行われるお祭りが特に有名である。国王なども参加する。
祭りはカトマンズに到着して10日後くらいだったと思う。だんだん祭りの日が近づくと、宿の従業員も「祭りには行くのか?」などと訊かれたり、例年の祭りの様子などを教えてくれたり、とかく祭りの話題が増える。皆楽しみなのだ。街の人も段々とソワソワしはじめ、街全体が祭りの雰囲気で盛り上がってくるような気配が感じられなくもなかった。
祭りは夕方から始まり夜通し行われる。午後4時頃には宿を出てパシュパティナート寺院に向かって歩き始めた。道にはたくさんの人が同じように寺院の方向に向かって歩いている。パシュパティナートの正確な場所は知らなかったが、人の流れに乗れば迷わず目的地に行けた。寺院の近くで警官による交通規制があり一時停止。すると国王が乗っているという黒塗りの車が、護衛の車両数台に囲まれながら、猛スピードで通り過ぎて寺院に入っていった。国王が最初の参拝者であるらしい。
ヒンドゥー教徒でない私は寺院の敷地に入れても核心となるエリアには入って参拝できないので、周辺を歩き回って雰囲気を観察する。寺院の前の林には多数のヒンドゥーの遊行者が焚火を囲んで車座になっている。その周りに一般人も多数。とにかく人が多く薄暗い中を多数の人がうごめいている。

パシュパティナートには隣接する河川沿いのガート(石造りの親水施設)に火葬場があり、祭りの時にも遺体を焼いていた。間近で見ることはできないが、およそ30メートルほど離れたくらいのところから遠巻きに見学することができる。遺体は白い布にくるまれ、積み上げられた木材の上に置かれ、キャンプファイヤーのように点火される。傍らには火の番人がいて、たまにこん棒で木材をつついたり、ときには炭化してきた遺体を乱暴に折りたたんだりして燃えやすいようにしたりしている。燃え尽きると灰もろとも河に流すのだ。私は参拝できなかったこともあり、祭り自体の印象はほとんどないが、日没後であたりの薄暗くなったガートで遺体が焼かれ、その火の粉が夜空に舞い上がる様子は、いまでも目に焼き付いている。少しショッキングな体験でもあった。
 

 

 

↑カトマンズの旧市街

 

 (つづく)