上海から新疆ウイグル自治区のトルファンまでは3000キロ以上。

 

私が収まったコンパートメントには中国人(といっても西域方面の方と思われる)の家族が一緒で、最初私が入っていくと、小学生の娘さんがあからさまに嫌な顔をして、お父さんに「こんなやつと一緒なんてイヤ」のようなことを言って、「そんなこと言っちゃいけないよ」のようなことを言われていた。そんなお父さんは娘を肩を抱きかかえながら、僕に「日本吗?(日本人かい?)」と少し当惑気味で訊いてきたので、そうだと頷いてみせました。ただ、こんな気まずい感じも本最初だけで、すぐに娘さんは僕になついて、遊ぼう遊ぼうと、次々にいろんなグッズを荷物の中から取り出しては、退屈しのぎの相手をしてほしいとばかり放してくれなくなりました。お父さんも、筆談でコミュニケーションしようとしてくれたり、ぶどうをおすそ分けしてくれたりし、ささやかな異文化交流がありました。ただ、

おばあちゃんだけは口を結んだまま、まったく交流を拒んでいる様子でした。

 

トルファンまでは3泊4日。その間の車窓の移り変わりはとっても単純。すなわち、1日目は水田、2日目は畑、3日目・4日目はひたすら砂漠です。(砂ではなく岩や石ころ交じりの礫砂漠です)。一番テンションの上がったのは3日目の朝に砂漠を見たとき。日本ではあまりお目にかかれない月面のような荒涼とした風景を見て、いよいよ来たなという気分になったのを憶えています。
車窓を見てもう一つ感じたのは中国の広大さです。鉄道は昼夜問わず、ひたすら爆走しつづけるわけですが(おそらく常時時速150キロ以上?)、来る日も来る日も、走れど走れどまだ走るという感じで、こんなに走っても大地というものは尽きないのかと、大変感慨深く、大陸の広さを文字通り肌で感じた経験でした。

 

鉄道は「軟臥」という一等寝台だったので、快適そのもの。コンパートメントに入ると上下左右に4つのベッドがあり、各ベッドには綿の布団と毛布が付属していたと思います。また、熱いお湯の入ったポットも配給され、湯飲みと茶葉があれば(中国人の旅行者はたいてい自身のものを携帯している)いつでもお茶が飲める。廊下には各コンパートメントの前に大きな窓があり、窓の下の壁に折り畳み式に収納されている椅子を引き出して座り、お茶でものみながら流れる風景を眺めていると、本当に贅沢な時間を過ごしているような気持ちになります。
また、「軟臥」車両の隣は食堂車で、利用者は昼食や夕食の時間になると優先的に案内してくれる。食堂者は、現在は知らないが、当時は白いテーブルクロスのかかった大きな丸い中華テーブルがいくつもあり、車両の端にはキッチンがあり、コックさんが火炎をあやつりながら中華鍋を振り回してちゃんとした料理を出してくれる。冷えたビールも飲める。爆走する列車の揺れはそれなりに激しいので落ち着いて食事する感じではないが、楽しくて気持ちのよい食事がいただける。本当に贅沢な時間である。
                                                  (つづく)