偽善者やめました 第五話
しゃけ:
偽善者の前に善とは何か、悪とは何か?という話になって、善というのは「自分が楽しく自然にやったことが相手のためにもなる」ではないか?ということになりました。
自分が善だと思い込んでやっていても、周りにとっては悪だったということが多々ある。
それが偽善。偽物の善です。善に見せかけた善。だから本人がまず、これは偽善なのか、善なのか、考える力が必要。そして100パーセントの善などない。どんな良いことをしても誰かしらが「売名行為」と言ったりする。
それと同じで私にとっての「普通」はまわりにとっても「普通」とは限らない。
「常識」「ここは日本」ともよく言われるけれど、同じ日本、同じような環境で育ったとしても、一人ひとり頭の中は違う。
大多数の人が良しと思うことが「善」ではない。大多数の大人は考えるのが面倒だから、なにが「普通」か、なにが「善」か考えずに「普通」を使っている。
さらに「普通が良いもの」という前提で使ってくる。普通なんて別に良くはないと思うんだけど。
マイク:
うーん。「普通だから良い」は勘違いかもね。大多数が「よし」とするものが必ず良いか?ってことを考えればわかると思うけど。必ずしも多数決では決まらない。
しゃけ:
完全にみんなが納得する、良い政治、良い国、良い家庭、良い人。いるでしょうか?
不完全なまま生きているのが人間でしょう?
マイク:
失敗した時に「人間らしくて魅力的」と言われたことがあります。「好きになっちゃうかも」って(笑)若いころね。
しゃけ:
あはは。「機械みたいに普通にちゃんとやる」が大して魅力的でないし、人間としたら「良く」もないわけよね?
そして、自分の国の普通に従わない国を滅ぼそうとするのが戦争の始まりじゃないの?
違いを許さないことはけんかに繋がります。
マイク:
自分の中で「良い」と思っていることが「本当に良い」のかどうか考え直す、というのをこの1年半かなりやりました。しゃけのおかげで(笑)
そして、しっかり考えたら「良い」と思っていたことが自分のただの思い込みだったことが多くて驚いた。
しゃけ:
うんうん。考えたら生きやすくなったでしょう?考えるとは哲学。哲学は人間の行動すべてに影響します。