小3だった時の私の最大の関心事は「なぜ私はひろみちゃんでなく私なのか」大人になればその答えはわかるのではないかと思っていた。ひろみちゃんと私は同い年で背の高さも同じ。髪の毛は私が長くてひろみちゃんはショートだった。どこが違うのか。ひろみちゃんはどんな本も漫画も集中して読んでいた。

 

おそらく、私はひろみちゃんになりたかったのだと思う。なぜ私は本に集中できないのか。突っ込みを入れてしまうからだ。「え、そんなこと言う?」「どうしてそうなる?」「意味が分からない」たまに燃やしたいくらいイライラする本もあった。静かに本に集中できるひろみちゃんがうらやましかった。

 

高校一年の時に「星の王子さま」という本に出会い、2日間泣いた。情緒不安定か?いや、その時の私はすでに、怖いものなし自信たっぷり。もしかしたらそう演じていただけかもしれないが、情緒不安定ではなかった気がする。ただの生理前だったかもしれない。が、深く感動したことは確かだった。

 

本をたくさん読んでいたひろみちゃんと私には若干(いや、かなり)の学力差があり、同じ高校へは行けなかった。小1から中3まで毎日一緒に登校していた。いつも二人だった。住むところは歩いて10分の距離。だけど、もう会うことがほとんどなくなった。高校の場所が真逆だったのよね。

 

同じ習字教室に通い、同じ塾にも行っていた。委員会も部活も一緒。二人とも年上男性に夢中であることも共通項であった。学生時代に年上男性と出会えるのは先生だけである。先生の家に二人で行って遊んだり。塾の先生とは車で3人でお出かけしたり。文通もしていた。文通って・・。(笑)

 

「なぜ私はひろみちゃんでなく私なのか」この問いは哲学なのではないか?となんとなく感じていた。そして「星の王子さま」と「くまのぷーさん」にヒントを感じた。短大の時、哲学の授業をとるも、先生があまりに魅力的でなかったため(ぼそぼそとしゃべる男性)寝てしまった。人は見た目が9割なのか?

 

しかし、短大で「ソフィーの世界」に出会う。これは素晴らしい哲学の歴史書であり、ボロボロになるまで何度も読み返している。ここでソフィーとは14歳の少女の名前であり、フィロソフィーのソフィーであろうと知る。作者はノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルさん。

 

いい年のおっさんが14歳の女の子になり切って書く文章に違和感を感じる。そして日本語翻訳するのは女性。言語とははて、楽しく難しいものだと思っていると、日本人女性の哲学者の本に出合う。それが池田晶子「14歳からの哲学」哲学は14歳からなのか?その時私は35歳くらいであったがこの本に魅了される

 

現在までかなり影響を受けている。というのも、さっきまで読んでいたからだ。小3の時の疑問の答えは大人になった今もわからないままだが、それでいいのだ。考え続けるために問いはある。