雨すごいから、ネットスーパー助かります。
同時に、ばかデカいトップを、母親とせっせと運んだ事思い出しました。
楽しかった。
今なら家に居ても動かなくても指先ひとつでなんでも届けてくれる。
誰とでも、直接会わなくても声を聞かなくても会話ができる。
思えば昔、親が寝たあと、相手と時間を決めて家電話の前で待機して、コール音鳴った瞬間に出るとか、バカみたいだけど不便なぶん楽しくて、その時間がいとおしかったなあ。
相手を想う時間が、たくさんありました。
そんな青春時代を送ってきたわたしは
今の便利さが、なんとも落ち着かないのです。
あの不便さが、たまらなく恋しくなるのです。
今何してるとか何考えてるかとか、画面でつぶやかれたらおしまいです。
コンビニがないときは、夜はしっかり暗かった。
正月は休むもんだと、
三が日はお店は閉まってた。
父親とたこあげに向かう途中の、並ぶシャッター、吸い込まれそうな圧倒的な静けさ、奇妙な空気。
外での楽しみもお休みして、家族、親しい人と語り合う。
おせちは女の人も休む為に考え出された保存食。
最近は、まわりが賑やかで正月すらまるで日常で、
昔感じた特別な空気は、どこかへいってしまいました。
その頃住んでいた家は、とても古風な平屋でした。
まわりの景色と全くマッチしない。
重くてなかなか動かない門を開けると庭に立派な白樺と松の木。
よく登った。
異様に広い玄関。
腰掛けてよく誰かと話してた。
男女別で、鍵まで木造のトイレ。
後にも先にも見たことない。
障子を開けて奥へ奥へと続く部屋。
誰かがいる。
長い縁側。
並んでたくさん話をした。
ケータイで知らせなくても、
庭で落ち葉を集めて焼きイモすれば近所の子供が集まってきた。
時代錯誤は幼い私にも感じられ、父親に二階建てがいいとお願いしたことがあります。
父親は、
もう、こんな古い家は無くなるからとても貴重なんだよ。
二階が無ければ、いつもみんな顔を合わせていられるでしょって、答えました。
黒電話
ストーブの上のやかん
網戸越しの虫の声
夏の終わりのにおい
家族五人、いつも顔を合わせて、笑ったりケンカしたり、本当に楽しかった。
私たちが出た後すぐ取り壊されました。
今はコインパーキングです。
あの風景に会いたくて、
よく眺めてます。
古いからいいとか
そんなことじゃなくて、
日本人のつくりだしてきた文化、歴史には、やっぱり日本人の血が流れるわたしにはリンクする部分がたくさんあって。
最近なんか忘れモノしてる気がして。
なるべく斬新に、
何かに追われるように、便利さに溢れ、賑やかできらびやかで境界線も曖昧な今
まわりがどう変わろうと、
娘には、わたしが大切だと思える事を信じ、伝えていきたい。
それをどう消化するかは娘次第。
世の中の灰色の渦にのみこまれても、這い出す力を。
娘にとって大切だと思えるものは、見失わずに生きていってほしい。
ネットスーパーの荷物を抱えながら、思うのでありました。
