あまりにも行事が多すぎて、我慢の限界を超えて障害者団体の会長さん宅に押しかけた自分達でしたが、
さんざん話し合ったけど、敵も然る者で妥協はしてくれませんでした。
ボランティアのみなさんの気持ちは分かりました、 だからと言って障害者の私達が、ボランティアさんの都合
に合わせて行事を控えたりすることはありませんと、断言されて話し合いは平行線に終わったのでした。
ただ、この時、お互いに好きなことを言い合ったので、ガス抜きが出来たようで両者の関係は少し改善したようです。
この当時のメンバーは、20代の社会人を中心に、大学生(熊本大学)がかなりいたんですね。
熊本大学と言えば、熊本でNo.1の大学ですが、その中でも法学部や医学部の学生が多かったです。
きっかけは、熊本大学の点字サークル(若い芽)の部長が、うちのボランティアサークルに入って、
彼は法学部だったんですが、点字サークルの後輩や、彼の友人がどんどん参加して来たんです。
あとで参加してきた後輩に、「なんで、うちのサークルに来たの?」と聞くと、女の子が多いと言われたとか
ご飯をおごってやるからとか、不純な動機(笑)が多かったけど、結構サークルで頑張ってくれました。
うちのサークルは、ハードだったけど、出来て日も浅く、威張ってるベテランや爺婆もいないし、自由で伸び伸び
してたから、若い人には居心地が良かったみたいです。
そして、気が付くとカップルが次から次にと誕生して、結婚式の連続だったのです。
医学部の0さん、今はどんなお医者さんになってるでしょうか?
化血研のTさん、社会人のHさん、お母さんと頼られたNさん、もうこれだけでサークル内で4組です。
若い芽の部長だったOさんは、金融会社に行ったし、後輩のKさんは数学の教師になったし、Wさんも
カップルだったからそのまま結婚したかも、 看護師になったマドンナのTさん、薬剤師のHさん、
海外青年協力隊でホンジョラスに行ったTさん、やはり海外に行ったOさん、そして私がちょっとだけお付き合いし
たSさん、今思うと、みんなみんな頑張って、輝いていたと思います。
しかし、この人達を引きつけて、その中心にいつもいたのは他でもない、あの重度障害者の促進会会長さんでした。
きれいな澄んだ瞳と、障害者の福祉向上へのあくなき執念がみんなを引きつけていたんだと思います。
でも、私はこの会長さんについて、ずっと疑問に思っていたことがあって、出会ってから4~5年経ってから
意を決して、自宅に行って質問をしたんです、それは今にして思えばかなり失礼な内容でした。
「あなたは、そんな不自由な身体で、すべてを人のお世話になる状態で、いったい何のために生きているのです
か? 私には、あなたの生きている理由が分かりません」 と、質問したんですよ!
それに対する会長さんの答えが、その後の私の運命を決定したのでした。
その答えは?
次回に。