父の死 | 夢の続き・・・

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法政ラグビー、映画、旅行、史跡めぐり、食べ歩き、犬、自然、世の中の出来事などを気の向くままつぶやこうかな。

今 目の前に小さな箱がある。

 

父とは似ても似つかぬ変わり果てた姿に変わってしまった。 

2017年815日 父が逝ってしまった。 享年79

 

父は、60歳を超えたあたりから3度癌を患うなど、

晩年は苦しい時も多かった。

 

されど、3度とも医師の方々の尽力もあり、癌に打ち勝った。

医学の進歩で寿命より長く生かしてもらえたとも言える。

 

父は地元をとても愛した人だった

病から復帰すればすぐに地元に密着して仲間たちと郷土史や地元に生息する生物を研究したり、

作物を作ることを生き甲斐として没頭していた。

 

これは最後の入院直前まで続いていた。

 

それでも農作業は痩せ衰えた老体にはきつく見えたので、小生は父に

控えるよう強く言った。

医師も細菌の多い畑作業はあまり勧められないと言っていた。

が、父は聞かなかった。

小生も本人の生き甲斐もあるから最後まで反対しきれなかった。

 

今年6月 陽気が暑くなるのと逆行するかのように父は寒気を訴え、食はめっきり細くなった。

半ば強引に病院に連れて行った。

診断結果は肺炎だった。

 

付き添ってはいたが、父は自らの足で歩いて診断を受け入院した。

 

3度の癌にも父は打ち勝ってきた。

また今回もいつものように乗り越えられるさ という根拠のない自信が小生にはあった。

 

ところが、7月に入るとこれまで足で歩けてたのに寝たきり状態になった。

呼吸が苦しくなり、酸素を吸引した。食も取れず点滴のみとなり、

会話すら困難になった。

医師からも覚悟する必要があると宣告された。

 

初めて事態の深刻さを認識した。

 

ところが7月後半 父らしく粘りを見せ、酸素ボンベを外し、食も少しずつではあるが取り始め、会話もできるまでに復活した。

 

医師からも、これなら9月にはリハビリ病院に転院して訓練できるかもなんて話が出るまでになった。

 

ところが、8月 再び悪化し、更に痩せ細り、会話も困難になった。

もう9月までもたない気がした。

 

813日 この日だけは元気だった。

僅かであるが、いつもより果物を食べ、水を飲み、会話もいつもより多くできた。

小生がお盆の支度があったので、病室をあとにするとき「車に気を付けて帰れよ」なんていう

気遣いまでみせてくれた。

これなら8月は頑張れるかもと気が緩んだ。

 

814日 昨日に比べれば調子は悪そうだが、それでも今までよりはいい。

まだ大丈夫だと感じた。

 

815日 油断していた。

この日 小生は都合により見舞に行けないでいたが、昨日の様子からも今日明日と言った

感じではなかったから大丈夫だろうという思いがあった。明日は見舞に行くのだから今日行かなくても・・・

 

ところが夕方病院からTELが鳴り、様子がおかしいとの連絡が入った。

 

病院に急行した。

 

が、15分前に息を引き取ってしまっていた。

間に合わなかった・・・・やってしまった・・・

一生悔いが残ることをしてしまった。

 

唯一の救いはこの入院を通してさほど苦しんだ様子を見せなかったことだった。

医師の話によると体のエネルギーをすべて燃焼し尽くしたかのように静かに

息を引き取ったとのことだった。

 

 

今更だが、やはり力づくでも農作業は止めさせるべきだったと後悔した。

 

されど、その一方で父は好きなことをやって人生を全う出来たので、本望だったのではとも

今 思い始めている。

 

 

昭和戦前の男らしく、生真面目で頑固を絵にかいたような人だった。

父と子でぶつかることも多分にあったが、今 小生がそこそこ普通の暮らしが出来ているのも

父が気付いてくれた土台があったからだと思う。

 

感謝でいっぱいである。

 

病院にて父の死を受け、わずかな時間 悲しんだ。

ただ、そこからが大変だった。怒涛の日々。

日本の葬式は忙しすぎる。

 

 

通夜・葬儀の段取りにはじまり、葬祭場では挨拶やお礼の気遣いに追われる。

更にその後は四十九日準備や年金やら健康保険の手続きなどやることがいっぱい。

 

初めての経験で混乱状態。

悲しんでいる時間がない。父の死なのに、父と向かい合えない気がした。

何かおかしいとも思うが、仕方ない。

 

 

父の死から10日過ぎ、ようやく落ち着いてきた。

目の前の遺骨の入った箱を眺めている。

 

当時病室での激しい心の乱れはもうないが、おそらく父を失った寂しさや穴の大きさ、事あるごとにもっと聞いておけば良かったと言ったような感情は

今後いっぱい感じる時が来るのだろう。

 

 

まあ、そんな思いはともかく、父には感謝いっぱいである。

もう病苦からも解放された。

こっちの心配はいらないから、天国でいっぱいやりたいことをやればいい。

今はそんな気持である。

 

最後に皆様へ。

親、妻、子、祖父母、親戚、恋人、友人、恩師、先輩、後輩、ペットほか。

そこにいて当たり前、いなくなると寂しいと思える大切な存在の人やペットって

人それぞれ誰かどうかいると思います。

 

自分にとって大切な存在が明日そこにいる保証は何もないということを今 小生は感じています。

いつか別れが来ることは当然知ってますが、今年の6月ころまで、まさか父が夏に消えてしまうとは思ってもいなかった。

どうか皆様には是非ともそういった方やペットを大切にしていただきたいと思います。

命は無限ではなく、いつとも知れない有限なのだから。