あれから5年ですか・・・早いとも感じるが・・・
実際に被災された方には時間が止まったかのように長く苦しい期間だったことかと
思う。
この大震災でお亡くなりになりました方のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災され、今なお不自由された方々の傷が少しでも癒えることをお祈り申し上げます。
今日、5年前に自分の周りで流れた震災時の時間を思い出しながら会社から帰ってきた。
あの時は、売国 民主党という悪夢のような最低最悪の政権だったな。これが日本にとって
とにかく不幸だったな。
東北各地の悲惨な状況に比べれば小生の住む山梨は無傷に近い。
ただ、小生が体験した中では最大の揺れを感じた地震だった。
1か月前にはニュージランドで起こった大地震でビルが倒壊していた。
その記憶があって、当時会社にいた小生は即建物から出て、駐車場にて揺れが治まるのを待った。
駐車場の車が前後に揺れ動いていた。
静まっても、再び余震といった感じを繰り返し強い不安を感じた。
家に帰れば津波に飲み込まれていく建物や車、重油により炎上する気仙沼の街、福島の原発事故など
信じられない光景を目にし、とんでもないことが起こってしまったと感じた(特にあの津波映像は今も直視出来ない)
この映像で海の怖さを感じ、今まで憧れていた海辺の街とか、遊覧船とかに対して、
いつの間にか精神的に構えるようになってしまっている。
5年前当時の山梨でも震災による影響で、物流が滞り、店に行っても物資が不足し、
またガソリンがない。これは自動車文化の山梨では死活問題だった。
GSでは1人5ℓまでなんて看板が出てたな。
電力不足から、計画停電といった地区ごとの停電も余儀なくされた。
夜 戦時中のように懐中電灯だけで一定時間を過ごした。
信号機もその時は消え、緊張感を持ちながら、会社から家に帰った。
があまりにも地区によって不公平な停電であった為大ブーイングが起きた。
店には買い占めのような現象も起き、世の中の醜さを見たが、その一方で
東北に支援物資を送ろうということで多くの人が物資を求めた結果、
善意による物資不足の店もあった。
あれから5年 復興状況はまだまだだ。
ただ、客観的に見たとき、日本だからここまで復興しているといえると思う。
これが中国だったら、略奪放題。
行政は埋めてお終い。あとは知らん!!
文句を言うやつは連行して行方不明。
それで終了だろう。
今、夏の選挙を睨んで反日マスゴミが安倍政権の足を引っ張ろうと必死で、偏向報道をしている。
この震災の復興状況すらも利用している感じがして不快感すら感じる。
この問題は、どの政権とか関係なく、これからもずっと国民全員で被災地を支援すべき問題だと思う。
それぞれが出来ることをすべきかと思う。
小生も微力ではあるが、今後も東北に旅行したり、産物を購入したりを心掛けて行きたい。
小生は日本人が世界最高の民度を持っていると思う。
政治の力だけでなく、みんなで微力ながらも助け合って復興を進めてほしいと思う。
一日も早く被災地の復興を!!
頑張れ 日本!!
頑張れ 被災地の皆さん!!