新選組紀行③ 天才剣士 沖田総司永眠の地 専称寺(東京都 元麻布) | 夢の続き・・・

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ちょっと前になるが、所要ついでに昔から気になっていた

新選組 副長助勤 一番隊組長 沖田総司の墓を

ようやく訪ねることが出来た。


小生は新選組の中でも土方歳三、斎藤一と並ぶ沖田好きだ。



沖田総司

生まれは1842年とも1844年とも言われはっきりしていないが、市谷にあった天然理心流道場 試衛館に9歳で入門。

僅か19歳にして塾頭になる天才剣士。

天然理心流宗家四代目 近藤勇をして五代目を継がせたいと

言わしめる。 

やがて近藤勇に従い上洛。新選組の初期から活躍する。

剣豪が集まる新選組の中でも最強の呼び声が高い。

有名な池田屋事件でも活躍。

しかし結核にかかり、1868年若すぎる死を迎える。



謎が多いが、残されたエピソードは実にドラマ性のある人物だ。

そこに早乙女貢や司馬遼太郎など、小説家の想いも加わり、よりスター性を帯びた悲劇の剣士として語り継がれている。

新選組の中でも、土方と並び女性ファンが多い剣士ではないだろうか?



・いつも明るく、冗談を言い、子供たちと遊よく遊ぶ純真な青年。

・その一方で剣を取っては天才的で新選組最強!!
・近藤勇、土方歳三との固い絆。

・美しい容姿

・京の町医者娘との淡い恋

・結核を患い、華々しい喀血。そしてあまりにも儚い生涯



おおよそこんな感じが沖田に関する一般的イメージではないだろうか?

スター故に、どのドラマを見ても不細工が演じることが許されないのがこの沖田総司だ。

個人的には藤原竜也の沖田が好きだな。



新選組関係者の証言などにもとづくと、短い生涯の中でも

華やかさがあることは間違いないが、その資料は決して多くなく、

小説によるイメージも大きい。

だが、それでいいと思う。

後々、沖田の謎を解く資料が発見されるのを楽しみに待ちたい。



さてさて、そんな沖田は1968年 京都を撤退後江戸にもどり、残る余生を千駄ヶ谷の植木屋で過ごしたという。


享年ははっきりしないまでも27歳以下の短すぎる生涯。

これからと言う時に無念極まりなかったと思う。



近藤勇は、江戸にもどってきた後、甲州勝沼に出陣前に沖田を見舞ったという。

これが近藤-沖田の今生の別れになった。

沖田は、その後の近藤の戦況を死ぬまで気にかけていたというが、

その近藤は、千葉流山で官軍に投降。

1968517日武士としての誇りを許さぬ斬首という屈辱的な形で

人生の幕を閉じている。

沖田はその近藤の死を知ることなく、2か月後の719日永眠。

辞世の句は「動かねば 闇にへだつや 花と水」。





沖田は今、東京都港区の専称寺で静かに眠っている。

(専称寺)




悲劇の天才美剣士のファンは多く、全国からの参拝客が未だに多い。

されど一部の心無い輩が墓石を削るなどの不義を働いた為、

命日を除いて非公開となり、寺の脇からそっと手を合わせるのが沖田ファンの恒例となっている。


(沖田総司の墓 小さな屋根付の墓石)





沖田のドラマ的な生涯。

そして今にも伝わってくるような無念の想い。

沖田の激しくも儚い生き方は、

150年近い時が過ぎた今も 多くの人を惹きつけてやまない。




新選組紀行① 新選組隊士が眠る街 会津

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新選組紀行② 土方歳三最期の地  函館 一本木関門http://ameblo.jp/ssh219/entry-11956748874.html