会津の象徴である鶴ヶ城。
1968年の会津戦争。
籠城戦となったため、この美しい城は無残な姿で落城した。
大砲による何千発の砲撃を受け、多くの犠牲を出し、ボロボロとなった。
会津の城下が戦場と化し、悪化する戦況の中で、会津軍は天下の名城
鶴ヶ城に籠城した。
その際、会津軍にも新政府軍にも重要な戦略的拠点となった一つの山がある。
小田山だ。
まさにこの山から新政府軍は鶴ヶ城に向けてアームストロング砲を打ち込んだのだ。
幕末というか、会津に興味がなければただの山以外何物でもない場所だ。
この砲台跡地から街を見てみると・・・・はっきり鶴ヶ城が見下ろせる。
画面中央が鶴ヶ城。
これは撃てる・・・。
直線距離にして1.6km。
新政府軍の鍋島藩が所有していたアームストロング砲は2kmの射程距離があったというから、十分の射程圏内だ。
こんなところから撃ちおろされてたら、会津軍からしたら
たまったもんじゃないと、実際この地に立ってみると納得する。
会津軍も当然、この地の利を知っているから重要な防衛拠点であった。
だから新政府軍に占領されると、何とか奪還しようとしだが、最後までそれは叶わなかった。。
この小田山。小高い山で、上り口入口あたりまで車で行ける。
そこから数百メートル上ると、会津城下が一望できる砲台跡地につける。
ここまで歩いてきたが、まさにこのあたりを巡って新政府軍と会津軍が激戦を繰り返し、修羅場となっていたと想像すると、ただの山には見えなくなりますな。
今でこそ美しい会津の街を一望出来るスポット。しかし当時は会津を仕留める死のスポットだった。