4度目の会津訪問をした。
歴史もあり、人情もあり、さらには温泉、食べ物と
何度行っても楽しめますな。
まず今回の会津紀行第一弾は「彼岸獅子」だ。
会津の人々に春の到来を告げる伝統行事だ。
この彼岸獅子。
昨年放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」でも登場しているので、
全国的にも有名かな?
凄惨極まる会津戦争において、唯一の痛快エピソードとして
挙げられるのが、山川大蔵率いる彼岸獅子だ。
時は1968年 会津戦争。
会津藩の若き智将 山川大蔵は日光口を任され、新政府軍相手に一歩も引かず、
見事な戦をしていた。
しかし他の国境が破られ、殿がいる鶴ヶ城が危なくなった。
山川は帰還命令を受け撤退して鶴ヶ城に向かった。
しかし、すでに圧倒的戦力有する新政府軍に城は囲まれ、山川がすんなり登城できる機会は失していた。
強行すれば犠牲は必至。下手すれば全滅の危機。
山川大ピンチ。
そこで山川は奇策を打つ。
先頭に会津伝統の彼岸獅子を立てて笛太鼓を鳴らしながら敵陣を堂々行進。
一歩間違えばこの獅子団も全滅必至。
まさに決死隊だったと思う。
戦場においてありえない光景に虚を突かれ、呆然と見つめる新政府軍。
見事山川は一兵も失うことなく鶴ヶ城に入場を果たした。
殿をはじめとして、籠城していた会津藩兵は歓喜したという。
この彼岸獅子。
小松獅子団の方の解説の話によると、元々は30位団体があったようだ。
ただ、時代とともに減少し、今は一桁に減少してしまったようだ。
今回見学させていただいたのは、そのうちの2つ。
天寧獅子団と小松獅子団。
天寧獅子団は、3月21日 午前 降雪のため鶴ヶ城敷地内の武徳殿
という建物で拝見した。
観光客がたくさんで、マスコミも来ていた。
改めて伝統ある行事なんだと実感した。
3体の獅子が笛、太鼓にあわせ演舞し、実に見事。
(天寧獅子団)
その他にも、ひょっとこなのか翁なのかわからないが、面をかぶった方が、獅子一体と一緒に演舞する舞も見ていて楽しい。
次の日、天寧寺近辺を散策していると、思いがけず天寧獅子団と遭遇。
各家々を訪問し、1軒1軒舞を披露していた。
こやって会津のそれぞれの家庭に春を届けているんですな。
また3月21日午後 会津市内では、山川大蔵の彼岸獅子として
有名な小松獅子団を見学した。
まずこの獅子で目に付くのが、何といっても「葵の御紋」。
「この御紋が目に入らぬか!! 頭が高い!! 控えい!!」といった感じの迫力ある御紋が目に飛び込んでくる。
思わず平伏してしまいそうだ。
(葵の御紋)
会津戦争終戦後の明治4年 小松獅子団は、会津の悲運の殿様 松平容保公の前で獅子舞を披露したという。
その際、容保公から戊辰戦争への協力に感謝し、太夫獅子に会津葵の頬掛けと、高張り提灯に会津葵の御紋の使用を許したそうだ。
この御紋が許されている唯一の獅子団らしい。
たしかに「葵の御紋」。
そう思うとなんとも神々しい。
舞は、全くの素人なので解説もできないが、天寧獅子と比べ、
こちらは動きが激しい感じがする。
(小松獅子団)
またドラマで山川大蔵は、子供(史実では11歳らしい)を先頭に立てて行進しているが、
小生らが観賞した時も子供が登場する。
この春入学するとてもかわいらしい子供だった。
獅子と見事な舞を披露してくれた。
(子供と舞う獅子)
この舞は、解説の方の話だと、獅子は子供を食べたかったらしいが、子供と舞っている内に楽しくなってしまったというユニークな舞らしい。
見ていてその雰囲気が伝わってくる。
実に貴重なものを見せていただいた。
こういう伝統文化はどこにでもある訳ではないし、作ろうと思っても短期間で
出来るものではない。
言いかえればその地の特権だ。
是非とも、今後も大切に引き継いでほしいものだ。