男女の友情あり?なし? | 地方女子大生の持論ノート

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こんにちは、ササガワです。

 

よく話に上がる「男女の友情」について今回は書いていきます。

あくまでも持論であり、私の周辺の話ですので。決めつけるなよ!!的な声は受け付けません^^

 

ちなみにみなさんはあり派ですか、なし派ですか?

 

場合による(相手による)が実際一番しっくりくる答えですが、

ありかなしかでいうと、なし派かな、と思っています。

 

 

ありでもなしでも男女の友情は同性よりもあきらかに築きにくいものです。

 

 

「いや、異性といる方が楽なんだよねー」

 

 

と、思っていた時期もありますよ。

実際中学までは男友達の方が多かったですし。

 

今でもなりたい将来や仕事のことなど話すのは男性相手の方が多いような気もします。

これは自分でも何となく理由はわかっていて、女の子に将来のことや自分の考えていることを話すとマウントになってしまう恐れがどうしてもあるからです。自慢に聞こえるんじゃないか、と不安なのです。

 

「そんなに考えててすごい!私なんかさー」と聞いてもいない自分を卑下する話がはじまり、女子の共通言語「そんなことないよ」パラダイスの幕開けにもつながりかねないですしね。(女子会で何回「そんなことないよ」を使ってきたんでしょうかね。笑)

 

良好な関係を保つにはある程度の対等性をお互いが握っていなければなりません。

 

一方で男性と話す場合、自分の考えや将来への思いを話すと、「俺も思ってることがあってさー」とだいたいは熱い話になっていきます。

そして最後に頑張ろうと前向きに終わります。

 

男性は相手の下にはなりたくない(優位に立ちたいとまではいかなくとも)という思いが無意識に女性よりも働きやすいのではないかなと思います。

 

 

さてさて本題に戻して。

 

 

男女の友情なし派の私がなぜそう思うのか

 

それはただ単純に「隙をみせたら終わる」関係であることがほとんどだからです。

また、男女の友情ほど本音を見せていないことが多い。というのも理由の一つです。

私の周りの話を聞いている限り、本音に関しては気づいていない人たちも多いみたいです。

 

 

男女の友情って「この人は友達だ」と勝手に認識し、そう信じている、いわば自分のエゴなのではないかと思います。

相手が「友達だ」といったって、心の内は本人にしかわかりません。

 

しかし人間として生まれた以上、知性があります。

だから知性と理性を駆使して、「友達のような距離感」をつくっているのではないでしょうか

 

 

ここだけの話、私には「友達のような距離感」の男の人は何人かいますが、全員信用はしていません。

人として信頼、尊敬している人はいます。

 

 

「友達のような距離感」を保つため、考えなければなりません。

 

 

その場で常にここまで考えているわけではないですが、これが男女の友情に関する私の根本的な考えです。

 

 

 

あまりにも偏りすぎている気もしますが。

ひとつ補足しておくと、男女の友情においてどちらかが必ずしも悪いとは思いませんからね

男性が本気になっちゃったとか、女の子が隙をみせすぎてもはや誘惑したとか、男女の友情が崩れる瞬間はさまざまですから

 

 

私だって、友達と思っていた人へ恋愛的な好意を抱いてしまったこともあります。

 

 

今回の結論として

友情は確かめようのない、自分が関係性に勝手に名前を付けて認識をしているエゴ

 

ということですね。

 

 

 

人との関係性に名前なんてなければ、友達という言葉がなければ

違った世界がありそうですね

 

 

では今回はこのへんで。

また次回お会いしましょう。