先週に2ヵ月半近く闘病中だった母親を見送りやはり落ち込んでいた、

ずっと病院には

顔を出すようにしては話したりもしてたが、6月に入り悪くなり点滴だけに

なってからはどんどんやせてしまい、ガンの痛み止めのパッチの量が増えて

話せなくなり可哀想だった、


この12年余り分かってから、知っている倉敷の先生を頼りセカンドオピニオン

として教えていただくことは素直にやってきて、転移もなくつい2年前まで

痛みもなかったのだが・・


今回の入院は本人も嫌がっていた、帰れそうな気がしないと・・

ご飯はちゃんと食べれていたのに、あの4月の桜の綺麗だった頃に少し

医者に無理を言って車椅子でもいいから連れて出て見せてあげたかったな、


30代の時に、自分は飲み屋通いを覚えて朝帰りをしたり、変な宗教に勧誘され

て凄く心配をかけたし、40代になってからは仕事のことでうつになり心配も

かけてきてしまったし、何より普通に孫の顔を見せてあげられなかったことは

すまないと思っている、だからこの度の通や告別式の喪主は弟に頼んだ、

弟は本当に一緒に住んでくれたし孫も見せてやり、苦労した母に親孝行を

してくれました、兄として恥ずかしいです、


人はいつか命の鼓動は途絶えるときが来るのだと普段は思ったりしないが、

そうした時を見たときにいろんなものがいとおしくなるのかもしれない、

だから人は優しくなれるのかもしれないですね。