少し時間が空いてしまいましたが、先週土曜日に土屋豊監督の最新作「タリウム少女の毒殺日記」を観てきました。

2005年に実際に起きた女子高校生による母親毒殺未遂事件を題材に、その女子高生(タリウム少女)が2011年に存在したらという仮定の話です。

少女は人間をはじめとする生物や、社会そのものをプログラムとして認識し、そのシステムを徹底的に観察する傍観者になろうとします。

その観察の一端として、少女は人間(母親)のタリウムに対する耐性実験を行いました。



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実の母親に毒を守る少女の人間性に興味を持ってこの映画を見たのですが、この映画のメッセージは全然違いました。

観賞する金魚と食べるサンマ、クローンネズミとクローン人間に違いはあるのか?あるとすれば何がそれを決めたのか?

整形って人体の仕組みを化学的に分析し、加工する行為ですけど、
それって遺伝子組み換えやクローン技術の開発と本質的には同じようにも思える。
整形はいいけど、クローン人間は絶対ダメって言う人はたくさんいて、それってなんで?
クローンネズミは居てもいいけどクローン人間は存在しちゃダメって?

人間だってネズミのように化学的に解明できるのに、家畜のようにIDで管理できるのに、どうしてダメなの??

って感じの問いかけを残す作品でした。

上映後に監督がトークショーを行ったのですが、「『神様が決めた』っていう文句はもう通用しない」っておっしゃってて、ふむふむと聞いていました。

私は「神様」っていう存在も人間が創りだした概念に過ぎないと思っているので、人間が頭のなかで創りだしたものを人間が否定してるだけで、一つの頭でぐるぐるとループしてるイメージ。
システムはシステムとして存在していて、そこに勝手な妄想を抱き、神秘性を持たせているだけ。

ただやっぱり、その妄想を行う脳の持ち主として思うのは、自分と全く同じクローンが出てきたらパニクるので、やめてほしいなぁと。
人間の本質のあり方の答えは出ないまま、このままなんだろうなと思いました。

ちょっと小難しいことを考えるいいきっかけになる作品だと思います。


渡辺美起子さんの演技が、リアルで良かったのと、
ノンフィクションで出てくる、学者や団体の代表のチョイスが面白くてちょっと笑ってしまいました。