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ふと、また読んでみたくなった。



そして案の定一気に読みきってしまう。





この本は、松井秀喜が星稜高校で甲子園に出場した際、対戦相手である明徳義塾に全5打席敬遠されたという試合について書かれた本です。



リアルタイムで見ていない私でも「事件」として知っているので、おそらく多くの方もご存知だと思います。





このことについては賛否両論さまざな意見があるでしょう。





敬遠は、野球における一つの作戦。

打たれる確率の高い打者を避ける代わりに、無条件で塁を与えるというリスクを犯してまで次打者との勝負に賭ける。


ルール違反でもなく卑怯な行為でもない。



ただ、一般の野球ファンはもちろんのこと、マスコミ、評論家、更には時の高野連の会長までが、明徳が採ったこの“戦術”を非難した。



勝つための勝負と教育としての勝負。



それは「高校野球」だったからなのかもしれません。
※上原とペタジーニの件は別として※




実際の球場では野次だけでなく、メガホンやビン・カンまで投げられました。

おまけに勝利のあとの明徳校歌は、野次や帰れコールでかき消されるほどだったそうです。






“俺ならわかってやれる”

そう思った著者は、たくさんの時間とたくさんの当事者・関係者、ニューヨークにいる松井とまで言葉を交わし真相を追求しようとしています。



特に私は明徳バッテリーの二人、そして星稜の5番打者の話が印象的でした。




「甲子園なんて、来なければよかった」


彼らは本当に、そう呟いたのか?




ぜひぜひ一度読んでほしい一冊です。








まぁここからは余談で(^_^;)


私はいつもこの本を読むたびに涙を流してしまいます。
それがどんな涙か一言では言い尽くせないのですが。


そして、どっちが良くて悪かったかなんて答えも出ないのだけれど。



ただ、それぞれの人生が違うように、野球観が違っただけなのかもしれないと思いました。






時に、人は相手のことをわかったようなつもりでいることがあります。


そしてまた、イメージや必要以上に事を美化しては、世間が喜ぶようなドラマチックな話を創って盛り上げたがります。


見事に躍らされたのかもしれませんが、外野にいながら無責任なくらいに騒ぎたてたことが私もたくさんあります。




決して偽善者ぶるつもりはないのだけれど、真っ白なものはないと思っています。
人が無菌状態では生きられないように。




なぁ~んてことを思ったりしました。



現在、「体育」という言葉が今後失われるかもしれないなか、“勝負”や“教育”について深く考えさせられました。


そして私のなかで「高校野球」の見方が変わりました。



もうすぐその季節がきますね。
あ、でもその前にオリンピックだ!