花の香りがした

鼻孔を擽ったそれの元を視線だけで探るとその先には俺のご主人様がいた

ご主人様は庭先で菜園の手入れをしていて、キャラメル色の髪が陽に透けて煌めいている

ひらりと屋根から降りてその背に後ろから手を回すと一瞬身を固くして、それから背を預けるように微かに体重を載せてきてくれた


はじめのころは触れようものなら叩かれ冷たい目で一瞥されたのだから大した変化だ


あの目をみれなくなったのは残念だが


「…カイト」


そっと名前を呼べば柔らかな声ではいと返してくれる。そんな事すら嬉しくて、胸を締め付けて、どうしようもなく愛しくて
カイト、カイトと繰り返し呼べば呆れたようにくすくす笑いながらはぁーい?と


「カイトー…」


「もー、なんなんですかさっきから」


今日は随分甘えたがりですねといって後ろ手に頭を撫でてくれるその手があまりに優しくて突然怖くなった



この手はいつか消えてしまうのだ



永久に続くような己の時間とこの手がもつ時間は違う


もう400年生きた


その中で出会った人々はまたたきするような短さで去っていった


減った空間を埋めるようにまた人が生まれ、そしてまた去っていく


繰り返し繰り返し、巡っても巡っても

俺だけが変わらぬままそこにいる

慣れたなずなのに今になって突然に怖い

俺はカイトがいなくなってしまった世界でこれまでと同じように生きていけるのだろうか


もうカイトを知らなかったころの自分には戻れないというのに


「…スコーチ?」


は、と顔を上げるとひどく不安げな碧がこちらを写していた


「どうしたんですか」


お前が死んだ時のこと考えてた、なんて言えなくて視線を泳がすと白い手に頬を挟まれて正面を向かされる



「なんで、泣きそうなんですか」


「え…」

精霊は泣かない


泣くという動作を必要としない体、できない体
精霊は人型を模した魔力の塊であって、実際の器官を持たない
汗も涙も流れない

涙を流す「アクション」はできても本当の意味で泣くことはできないのだ

「泣きたい」という感情が分からなくて戸惑ったままカイトの深海のような瞳をを見つめることしかできずにいるとそこから水が溢れた


「カイト!?」


慌てて指で涙を掬ってさっきカイトがしてくれたように頬を手で包んでやるといやいやと振り払われてしまった


それからわっと顔を覆ってしゃがみこんでしまう

「どうしたんだよ…」


「わかんないですよ~ただ、ただなんかスコーチが泣きたいのかなと思ったら急に…」



精霊は泣かない
汗も涙も流れない



精霊は泣けない


泣きたくっても器官を持っていない
アクションはできても本当の意味で泣くことはできない



「なんでおれが泣きたいって思ってることわかったんだよ」


そんな感情知らなくてよかったのに


「…一心同体ですから」


にこり、と目尻に涙をのせたままカイトが笑って、そこに差した日が白く弾ける


あぁ、と同じようにしゃがんでカイトを抱きしめる


首筋に顔をうずめると土と太陽のと、花の香り


いつか消えてしまうのなら


それを待ってるくらいなら



いっそこのまま



光に溶けて死にたい