
崩した文字で「むふ」と書いて『はな』と読みました。
戸籍もそんな崩した文字で記入されていました。
昨年のブログに詳細に書いています。紹介します。
その日は、仕事で休日出勤して提案書を作成していて「そのた」と入力して変換すると「その墓」と表示されて、縁起でもないなぁと思いつつもう一度「そのた」と入力すると「その墓」と出てくる。
電話が鳴ったので出ると、妻から「おばぁちゃんが、今、亡くなったって、病院から電話」とありました。
私は、もの心が付いたときから小学校の2年生まで祖母と二人で暮らしていました。
両親の記憶は殆どありません。特に父親の記憶は皆無に等しい。小学校の3年生のときに、初めて家族全員で暮らしたことを覚えています。祖母は1892年だったかな、明治27年に生まれたので19世紀の人です。20世紀の後半に亡くなったわけですね。92歳の天命でした。
おおよそ100年近く生きてきて、子供のころ、関東大震災の話や戦争体験、そして戦後初めて婦人に参政権が与えられて初めて選挙に行った時のこと。
新婚当時は、前田公爵のお屋敷で若様養育係りをしていた祖父との話や、面白い話題をずいぶんと聞きました。
祖母の話を聴いていると、作家の「戸部銀作」という方の紹介記事を読むと、この人も親戚なんだなぁと分かります。祖母の話は、いづれ書きたいと思っています。
そうそう前田さんは、祖母によるとお殿様と読んでいたとか。またNHKの会長だった前田氏が祖父が教えていた若様だったとか。何だか江戸時代からつい最近までの凝縮した人生を垣間見た感じ。
子供のころの話ですから、殆ど覚えていませんがテレビで歌の番組で流れていた曲を聴いて、この歌を作った上原げんとと言う人は、学生時代に家に下宿していたよとか言っていましたね。
あと、私が学校を病気で休んだとき、学校に欠席届けを出すと「風邪を引き候」とか、崩した字体で学校でも所謂草書体を読める先生もあまりいなかったように思います。なにしろ候文ですからね。確か国語の先生が担任の先生に翻訳していたように記憶しています
祖母を火葬場から骨壷に移し自宅に戻る間、ひざの上に置いた骨壷から伝わる暖かさは、今でも思い出すことが出来ます。