今回は、少し私自身のことを書かせていただきます。
実は昨年、息子がガンで亡くなりました。
小さい頃から性格はよかったのですが、心身共に丈夫ではなかったために、
母親の私としては気苦労が絶えませんでした。
夫や娘、友人たちにも「過保護」だと指摘され、私もそれは認めていました。
けれど、息子が亡くなってしまった今、息子に十分すぎるくらい愛を注いだことに後悔はありません。
息子は常に前向きで屈託のない笑顔を浮かべ、それはガンになってからも変わりませんでした。
一言で言うと、「人を愛し、人から愛された人生」だったと思います。
13年前に亡くなった私と母もそうでしたが、息子と私の絆も強く、それだけに息子の亡くなった悲しみは、1年近く経った今も薄らぐことはありません。
息子は精神障碍者を支援する仕事に就いていたので、ヤングケアラーの支援も息子と一緒にやる計画を立てていました。
息子が中心で、私は傍らで手助けできればいいと考えていました。
息子が亡くなってしまって、どうしようかと思っていたら、娘が背中を押してくれました。
この世で、一番悲しいことは、やはり愛した人との別れだと思います。
私の知人で、引きこもりで若くして娘さんを亡くした人がいて、彼女は絵や詩を書く人でしたが、「私のテーマは悲しみ」と言っていましたが、同じ立場になって、私もその気持ちがよくわかるようになりました。
悲しみが心の底に根を張ってしまって、楽しいことやうれしいことがあっても、かつての息子のように屈託のない笑顔を浮かべることは無理だと思います。
考えてみれば、人はみな悲しみを抱えて生きているのかもしれません。
それはまた、相手の悲しみも想像でき、分かることにつながっていくのかもしれません。
悲しみはつらいけれど、悲しみを知らない人生もそれはそれで味気ない人生のような気もします。
家族のケアをしているヤングケアラーのあなたも、悲しみを抱えて生きているのだと思います。