血が騒ぐ | 闘狼荘日記

闘狼荘日記

乾坤を其侭庭に見る時は 我は天地の外にこそ住め

人類の文明で特筆すべきものと言えば、「芸術」に尽きるかも知れません。
チンパンジーなど道具を使う動物は存在しても、芸術を嗜む動物は人類以外には此の惑星には存在しないのでは無いでしょうか?尤も私の知見の及ぶ地球表層上の範囲内に限定されていますが・・・

人類の芸術の中でも特に音楽と云うものは実に興味深く不思議なものだと思います。そもそも音楽とは「音の集まり」であり、音とは極めて単純な「空気の振動」であるだけの筈なのですが、その単純な空気の振動が集合し音程やリズムが構成されると「音楽」となり我々人類の心を揺さぶります。人類以外の動物でも鳴き声や吠え声が音楽の様に構成されている例は少なくは無いですが、流石に楽器という道具を使って音楽を創造し楽しむのは人類だけでしょう。そして特筆すべき事は、音楽は人間の本能的な部分を刺激し、人間の「心」即ち「脳」を覚醒や催眠或いは興奮や鎮静へと導く効果が間違い無く有る事でしょう。個人差はあるでしょうが、音楽や音で興奮したり鎮静する感覚を経験された方は少なくはないのではないでしょうか?私も多分に漏れず、音楽が大きな要素となって血が騒いだり逆にリラックスする事が多いように感じます。

ちょっと横道に逸れます。私の先祖は平氏の末裔の長州人ですが、縁あって祖父の代から小倉市(現北九州市)に移住したので私自身の生まれ育った郷里は小倉であると認識しています。そんな我が郷里の小倉市で、1950年7月11日に衝撃的な「音楽に纏わる凶悪事件」が起こりました。1950年と云えば、大東亜戦争終結から間もなく、朝鮮戦争が勃発した年でもあります。当時、小倉市街から一里ほど離れた郊外の城野と云う地にGHQにより米軍補給基地「ジョウノ・キャンプ」が設けられ、動乱の朝鮮半島へ向けて兵士や物資が続々と集結していました。その「ジョウノ・キャンプ」で、数日後には最前線へ送られる予定であったアフリカ系黒人兵250名の集団脱走事件が発生したのです。

後の1958年には此の事件をテーマに小倉市出身の作家・松本清張氏により「黒地の絵」と云う短編小説が上梓される程の衝撃的な事件でした。此の小説は脱走事件で妻を黒人兵から蹂躙され家庭を失った男の物語なのですが、読み始めには大藪春彦ばりの復讐劇を期待したにも関わらず、暴力に対して無力な男の復讐には程遠い真逆の結末に私は遣る瀬無い思いを抱いたものでした。黒地の絵とは、黒人兵の黒い肌に刻まれた刺青を表しており、現在でも外国の軍隊に属する将兵は好んで刺青を自らの身体に刻んでいる者が多いのは、自身が戦死した際に例え一片の肉片に変わり果てようとも自分自身の証となるようにとの思いがファッションと云う意味以外に込められていると、以前に我が一門を訪れたグリーン・ベレー出身のアメリカ人から聞いた事があり、日本人独特の刺青に対する考え方とは根本的に違う事に感心しました。


黒人兵集団脱走事件が起きた1950年7月10日は、時折しも小倉市中では400余年の歴史を有する小倉藩の総鎮守・八坂神社の例大祭である小倉祇園太鼓の中日(現在は7月の第三週の金土日に日程変更)であり、城下には全国的にも珍しい太鼓の両面打ち奏法によって繰り出される独特のリズムと音が轟き渡っていました。私も実家が小倉城下から郊外に引っ越すまでの少年期には太鼓のバチを振るったものです。

さて当時のアメリカでは有色人種への差別が根深く残っており、特に黒人への差別は酷いもので先ず最前線へ送られるのは黒人からが当たり前だったそうです。(アメリカに於ける黒人迫害の一例・閲覧注意!)アメリカに於ける黒人差別はキング牧師が指導した公民権運動が始まる1950年代まで厳然と存在し、特に南部での差別は酷く1955年に起きた(エメット・ティル少年のリンチ殺害事件・閲覧注意)は公民権運動の大きな火種ともなった衝撃的な事件でした。またアメリカの黒人差別で興味深いのは第二次世界大戦では前線で戦う兵士は圧倒的に白人兵士で占められ、黒人兵士は単純労働の後方支援部隊に配属される事が多かったと云う事実もあり此れも黒人差別の一端を物語るエピソードではないかと思いますが、一転して朝鮮戦争では黒人兵士が前線に追いやられたと云った事実は、取り分け大東亜戦争での対日本戦闘に於いての白人兵士の消耗が激しかった大戦後当時の疲弊したアメリカ軍の実態を物語っている様にも思えてなりません。

最前線へ送られると云う事は即ち死を意味する極限のストレス状態であったろうと推測される黒人兵達は、その祇園太鼓の煽情的な音とリズムに遠いアフリカの祖先の血が騒いだのか?最前線へ送られる恐怖も相まり自暴自棄となって完全武装のうえ集団脱走を企てたと云うのが事件の真相だったそうです。彼らは5~6名に分かれ繁華街や民家に侵入し無辜の市民を狙い略奪・傷害・強姦を繰り返しましたが、MPと日本の警察は為す術も無く遂にはアメリカ陸軍二個中隊が投入され市街戦の末四日後の15日にようやく集団脱走事件は鎮圧されました。カービンやライフル銃を手にした脱走兵の中には手榴弾をぶら下げている者も居り相当な規模の市街戦が展開され、生き残った逮捕者は全て朝鮮の最前線へと送られ殆どの者が戦死したそうです。此の大事件で警察に届けられた被害は70数件に上った他に、被害者泣き寝入りで表沙汰にせずに「ひた隠し」にされた強姦事件の方が多かった様ですが、GHQの情報規制と報道規制により当時の国民の多くは此の事件を知らなかったと云う敗戦国の悲哀を象徴する大事件であったのです。

当時、私の父母方の家族には幸いにして此の事件による被害は被らなかったのですが、若き日の父や祖父達は憤怒に燃え自警団の様な活動も行なったそうで、特に私の父は米軍キャンプに勤めていた頃に親交の有った米兵にボクシングの手ほどきを受けセミプロのボクサーとして活動していた時期でもあり、血気盛んな気性で市街で米兵やヤクザ者に遭遇するとゲリラ的にストリートファイトを挑んだ等の当時の話しは終戦後の国内のカオスを象徴する様な逸話であります。また昭和40年代頃までの小倉には米兵と日本人女性との間に生まれた混血児の数が多く、白人との混血で美形の者は持て囃されましたが黒人との混血児は悲惨な状況で、その多くは海外へ人身売買紛いの里子に出されたりした事が多かったそうで、草刈正雄さんや山本リンダさん等の小倉出身の芸能人は其の表側の明るい面の典型例でしょう。(御本人たちは白人との混血といえども大変な御苦労があったそうですが・・・)そう言えば私の実家の近所には黒人の混血児も居たのですが、謂れのない偏見と差別を受けていたのを子供心に覚えており、私自身は「何故この人は肌が黒くて髪がチリチリなんだろう??」と素直に不思議に思っていました。

さてさて、無茶苦茶前置きが長くなってしまいましたが、当時の黒人兵たちの激情を煽動したのは紛れも無く太鼓の音色とリズムと云う「音楽」で、如何に音楽が人間の本能や感情を揺さぶるものであるかは明白な事実であり、人間にとって音楽と云うものは良くも悪くも必要な文明なのではないかと思う次第なのであります。

私にとって「血が騒ぐ」ものは以下の様なものですが・・・・
貴方にとって血が騒ぐものとはどんなものでしょう??































オマケ!