2024年上期(1~6月期)は大幅な減益となった資生堂だが、現在絶賛構造改革中である。

来期はその効果が見込まれるとされるが、その時点でCEO(最高経営責任者)の交代を発表した。

資生堂は、香川県及び香川大学とは縁の深い企業であるので、その復活に期待したい。

 

 

 

     資生堂CEO交代(モーニングサテライトより)

   

 

2024/08/02  日経MJ(流通新聞)より

 

資生堂CEOに藤原氏

 

資生堂は7月30日、藤原憲太郎社長が2025年1月1日付で最高経営責任者(CEO)に就任すると発表した。魚谷雅彦会長CEOは24年12月31日付で退任し、翌1月からグループのシニアアドバイザーとして経営陣への助言や人材育成の支援に取り組む。
 魚谷氏は25年3月下旬に予定する定時株主総会で取締役を退任し、アドバイザー専任となる見込み。
 魚谷氏は日本経済新聞のインタビューで24年12月期でCEOを退任する意向を明らかにしていた。あわせて後任には23年1月から社長最高執行責任者(COO)を務める藤原氏がふさわしいとの認識を示していた。
 魚谷氏は日本コカ・コーラの社長などを経て、14年に社内での役員経験のない外部出身者として初めて資生堂の社長に就任した。
 日本コカ・コーラ時代に「爽健美茶」をヒットさせるなどしたマーケティングの手腕を生かし、資生堂では高価格帯の化粧品の海外展開を進めた。19年12月期には連結ベースの売上高と営業利益がともに過去最高となった。
 化粧品需要が落ち込んだ新型コロナウイルス禍以降は業績が低迷した。20年12月期の最終損益は116億円の赤字に陥り、23年12月期の純利益(国際会計基準)も前の期比で4割近いマイナスと2期連続の減益に沈んだ。
 21年には「TSUBAKI」などで知られる日用品事業を投資ファンドに売却した。その後も、香水の販売権やブランドを手放した。24年12月期には国内従業員の1割にあたる約1500人の早期退職を募り、構造改革を進めた。

 

 

FASHIONSNAP 2024.07.30より

 

資生堂トップの"並走期間"が終了
魚谷雅彦会長CEOが退任し藤原憲太郎社長COOが社長CEOに就任
 

資生堂が、7月30日の取締役会で、2025年1月1日付のCEOおよび代表執行役の異動について発表した。取締役代表執行役の藤原憲太郎社長COOが、取締役代表執行役 社長CEOに昇格。これに伴い、2014年から約10年にわたり社長を務め、現在は取締役代表執行役の魚谷雅彦会長CEOは同職を退任し、資生堂グループのシニアアドバイザーとして携わる。また、取締役については2025年3月下旬開催予定の定時株主総会をもって退任する予定だ。

 同社は2019年から5ヶ年のCEOサクセッションプランニングを推進。2022年11月に行われた取締役会で、藤原氏を次期CEO候補者として社長COOに選任し、以降は魚谷氏と“二人三脚”で並走し経営体制を構築してきた。当初の発表通り2024年末をもって魚谷氏は会長CEOを任期満了で退任。本格的に新体制で稼働していくことになる。

 魚谷氏は、1977年に同志社大学文学部英文学科を卒業後、ライオン歯磨(現ライオン)に入社。米コロンビア大学経営大学院でMBAを取得し、シティバンクN.A.マネジャーやクラフト・ジャパン(現モンデリーズ・ジャパン)代表取締役副社長に就任。1994年に日本コカ・コーラの取締役上級副社長・マーケティング本部長に就任し、代表取締役社長を経て、2006年から2011年まで代表取締役会長を務めた。資生堂には2013年にマーケティング統括顧問として入社。2014年6月に代表取締役社長兼CEOに就任し、2022年1月からは代表取締役社長CEOを務めた。社長就任以降はマーケティングや人事体制の改革に挑み、“日本トップのビューティカンパニー”の土台を強固なものとするとともに、「ピープル・ファースト」を掲げ、ダイバーシティ&インクルージョンや女性管理職比率の向上などにも取り組んできた。シニアアドバイザー就任後は、経営陣の要請に基づき、助言や人材育成支援、渉外活動などを適宜行っていく。

 

 藤原氏は、1991年に香川大学大学院修士課程(※農学)修了後、資生堂に入社。ドイツをはじめフランス、韓国、日本での経営戦略などを経て、2016年に資生堂 執行役員、資生堂(中国)投資有限公司 総経理、2018年から資生堂 執行役員 中国地域CEO、2020年から資生堂 エグゼクティブオフィサー 常務 中国地域CEOとしてグローバル市場に目を向けてきた。中国市場などの統括実績が認められ、社長COOに就任。2023年9月からは資生堂ジャパンの代表取締役会長を兼任し、課題となっていた日本市場の回復および飛躍のため構造改革の陣頭指揮を執ってきた。

2022年10月に創立百周年を祝ったばかりの福島大学の経済経営学類だが、いまや唐突に伝統の断絶の危機に立たされている。

 

 

       創立100周年記念式典・記念講演会

 

衆目の一致するところ、平成以降の文部科学省の高等教育行政の基本姿勢は、「理系優先、文系軽視」である。

しかし、国立大学の法人化以降、全国の国立大学は一様に疲弊している。優遇されているはずの理系学部においても、研究業績に短期的な成果を求めるあまり、予算を人質にとって、文理問わず研究者に研究内容の充実そのものよりも、上への各種書類の作成を強いて、研究者は本来雑事であるはずのそちらのほうに忙しい。学生の教育に手を抜くと叱責され、各種報告書の提出が滞るとシビアに給与に反映される。ただでさえ多くない科研費の申請も必須である。(しかも、やっとおりてきた研究費は使い道が限定されていて、目的外のことには臨機応変に使えない)

このうえ、教授会や割り当てられる各種委員会に割く時間を考えると、自分の研究に使える時間はどれくらいあるのだろうか?

過去の事例でわかるように、ノーベル賞級の研究というのは脂ののった若い頃の研究業績が大半である。

そして、その活動の場となるのは国内でも研究環境に恵まれたひとにぎりの国際級の大学・研究機関ではなく、むしろあちこちに点在する普通水準の研究機関であったりする。青色発光ダイオードでノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏(徳島大学大学院修了)は勤め先の日亜化学(徳島県阿南市)社内に必要な装置がなかったため、実験結果の測定のためたびたび母校の徳島大学工学部を訪れたというし、創立間もない旧制浜松高等工業(現・静岡大学)の助教授となった高柳健次郎氏(東京高工附属工業教員養成所卒)は浜松の研究室で世界初のブラウン管テレビの受像に成功して後に文化勲章を受章した、などなど。

しかし、国立大学法人化以降、その普通水準の研究機関は一様に消耗が激しい。今やノーベル賞級の研究が産まれるような環境は、文科省の掛け声とはうらはらに全国の国立大学から確実に失われつつあるというのが筆者の率直な感想だ。

実際に、国立大学法人化の直前に四国の徳島大学総合科学部から兵庫の関西学院大学に逃げ出した多井学氏は、自著『大学教授こそこそ日記』に文系研究者の視点ながらその弊害について綴っているが、本当に役人根性丸出しの政策であると感じないわけにはいかない。もっとも、大学側としては文部行政に異を唱えると予算配分で冷や飯を食わされるのが確実と心得ているため、「御上のお達し」を下々に徹底することに汲々としているということだろう。

 

さて、本題である。

先月、福島県の地方紙である福島民友新聞のHPに次のような記事が掲載された。地元福島大学が現在の学類・学系制をとりやめ、もとの学部制に戻すのだという。筑波モドキというか、当時の文部省が鳴り物入りで導入を進めた「新構想大学」にならって「学群・学類・学系」を名乗っても、地方にはなかなか浸透しない。いかにも「改革やっています」という、上の方針に素直に従っています風の、中途半端な印象だけが残り、筆者もあまり気に入らなかったが、ようやくこの看板を掛けかえる気になったらしい。

しかし、それはいいとして、そのどさくさ紛れに社会科学系の経済経営学類と行政政策学類を併合して4学部制にするらしい。そもそも、3学部制だった福島大学が国立大学法人化した年に学類制に移行したのだから、20年足らずの迷走の末の結論ということになる。

併合の対象となる経済経営学類はもとの経済学部、行政政策学類はもとの行政社会学部である。行政社会学部は1987年に新設された学部であるが、経済経営学類は旧制福島高商から100年以上の歴史を持つ老舗である。この際、両方をまとめてそれをひとつの社会科学系の学部にして再発足するということである。が、そうすると新しい学部はそのまま学群名をとって人文社会学部なのだろうか、あるいは実質をとって法経学部なのだろうか。いずれにしても、福島大学経済経営学類はかつての学部から学科に「格下げ」となる感がある。いや近年の文部科学省は各地方国立大学に1学部1学科複数コースへの改組を強いている。滋賀大学経済学部、長崎大学経済学部、香川大学経済学部、横浜国立大学経済学部、大分大学経済学部・・・。少なくとも文系学部は偏差値にかかわりなく右に倣えという状態だ。そうなると、合併新学部はさしずめ人文社会学部の経済経営コースと行政政策学コースということになってしまう。国立の医学部でも医学科と看護学科では同窓会は別々であるが、さすがに学部どころか学科ですらないコースとなると、今後とも独立した同窓会として維持されるかどうかにも不安が残る。

今ある文系の学部をひとつ潰して、おまけに教員養成を担当する今の人間発達文化学類は近隣の山形大学地域教育文化学部や宮城教育大学と連携することを公言して規模を縮小する方向である。大学当局は、これらの施策で浮かせた教員定員を今後の重点分野の定員に振り替える気満々である。いまや福島大学の未来は、平成以降に新設された理工学群と農学群にかかっていると言わんばかりだ。

しかし、今回の組織改編の公表に当たって、大学当局から合併学部の名称や合併後の学部の性格や将来展望まで何一つ具体的なリリースがないのはいかがなものか。そのなかで、「経済」や「経営」の名前と伝統が埋没してしまうのかどうかはOB諸氏にとって無関心ではいられないだろう。

 

 

>福島大学経済経営学類 信陵同窓会 (東京信陵会)HPより

 

福島大学4部制へ(福島民友、福島民報)

 

表題の通りのスクープが福島民報、福島民友で報じられています。2024年10月9日に記者会見が行われましたが、既報以上の内容はありませんでした。 また三浦学長から同窓会への事前説明も既報以上の内容はないと、行われませんでした。

 

 

福島民友新聞HP 09/14 07:30 記事より

 

福島大、4学部制へ 27年度目標、行政政策と経済経営を統合

福島大は、早ければ2027年春の入学生を対象とした26年度の入学試験から、「行政政策学類」と「経済経営学類」を統合し、現在の五つの学類から、四つの学部への再編を目指す方針を固めた。「人間発達文化学類」については宮城教育大や山形大との連携を模索しており、学部の再編について近く文部科学省との協議に入る。

 同大が13日に発表した「福島大グランドデザイン2040」に、40年までの16年間で取り組む目標の一つとして現行の「学群・学類・学系制」を「学部・学科制」に改編する方針つがを盛り込んだ。

 同大は04年の国立大学法人化で理工学群共生システム理工学類の創設に伴い「学部制」から「学群・学類・学系制」にする全学再編を実施。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後には、うつくしまふくしま未来支援センターや環境放射能研究所、農学群食農学類などを新設した。

 全学再編から20年、震災から13年が経過し、改革に伴う研究成果は高く評価されている。ただ国立大学法人を巡っては、少子化に伴う受験生の減少により、40年には学生の定員充足率が8割程度まで落ち込むと予測されている。また、主要な収入源となる国からの運営費交付金は、この20年で約1割減少。物価高も続く中で人件費の捻出が課題になるなど財務状況の悪化が進んでおり、大学を現状のまま維持することが困難な状況が現実味を帯びてきているという。

 学群・学類制は一般に学部・学科制よりも幅が広い分け方で、学生が学びたい学問の領域を柔軟に選択できる利点がある。

 一方、同大が学部・学科制への改編を検討する背景には、少子化が進む中で研究や教育の成果といった大学の「強み」を明確に打ち出していくため、組織や研究分野のスリム化を進めていく狙いがあるとみられる。

 同大はほかにも、教育と研究を両輪として一体的に行う学士・修士課程、博士課程の創設や、経営方法の変更も視野に入れた付属学校園の抜本的な改革などを進めていく。

今朝スマホを眺めていると、岡山大学の夜間主コース廃止のニュースが入ってきた。念のため岡山大学のHPを確認すると、そのとおりだという。ついに来るべきものが来たということだろう。

 

もともと新制岡山大学法文学部は旧制高校を母体とした学部のため、社会科学系の教授陣が手薄であった。前身の旧制六高が東大をはじめとする帝国大学への教養課程であり、語学・文学系、物理、化学系の教授陣が中心であったから仕方ないことである。そのためか新制大学発足後5年経った昭和29年に経済学や法学の教授陣を増やす方便として法文学部と別に法経短期大学部が開設された。それから11年たって夜間部として法文学部第二部が設立される。

岡山大学の経済学部長だった神立春樹名誉教授の「回想の岡山大学三十年」によると、法文学部経済学科では一部(昼間部)の教授定員で8講座20名(助手を含む)を経済学部門に充当し、二部(夜間部)の教授定員で5講座8名を経営学や会計学といった経営学部門に充当したという。

表面上の両者の講座数に比べ、教官数の割り振りが露骨に経済学部門に傾斜しているのは岡山大学が「民よりも官」という旧帝大系の学統に属する大学であることを物語っている。だからであろうか、学部発足以来法学部と並んで公務員試験に強いことが伝統となっている。いずれにしても、中国地方を統べる広島と違って国の出先機関が殆どなかった岡山という地方都市で夜間部を立ち上げたことにより、地方国立大学の法文学部としては比較的に多い教授数を経済学科に確保した。それが、昭和55年の法文学部改組の際に岡山大学が熊本大のように法文学部→法学部・文学部とならずに、法文学部→法学部・経済学部・文学部となった一因である。

(  「岡山大学格・規模の経済としては異例ともいえる多さであるが, この数は第二部があったことによるのである。」同書より  )

 

筆者の見方だが、現在の入試制度がセンター試験から共通テストに切り替わるこのタイミングで、岡山大学は自身のブランドイメージの再構築を推進しているように見える。

そのひとつが、先年実施された全学の後期日程募集の廃止である。

もともと旧一期校であった岡山大学としては、前・後期で募集することにより、後期日程で岡山大が第一志望でない学生を受け入れることについて抵抗があったということだ。

かつて共通一次試験がセンター試験に切り替わる直前に受験機会の複数化が導入され、全国の国立大学の受験日を京都大学を頂点とするA日程と東京大学を頂点とするB日程に分けたが、東大との併願合格者をことごとく東大に取られて補欠合格者を大量に出す屈辱を味わった京大はこの制度に拒絶反応を示し、その後に独自の分離分割方式(現在の前後期入試制)を打ち出した。

これが瞬く間に全国に普及して、今ではこれが国立大学入試の標準となっている。これにより大量の入学辞退により右往左往することはなくなったが、各大学にとって悩みの種は、国立大学同士で複数校の合格が可能だった旧二期校や最初のA・B日程の連続方式と違い、前期試験の不合格者(またはごく少数の入学辞退者)のみを対象に選考を行った分離分割方式の後期日程入学者の存在、この異分子たちのその心のケアなのだろう。岡山大が第一志望ではなかった学生を多数受け入れることによる学内における不協和音。これは上位校になればなるほど看過できない問題だと容易に察せられる。

一方では旧二期校の名門、滋賀大学経済学部のように、「不本意入学上等!入ってきたら鍛えなおしてやんよ」とばかりに、意図的に京阪神や東海地方の上位国立大学志願者の受け皿になるように一般入試合格者数の過半を後期日程で占めるように募集定員の割合を操作する大学もあるが、これはあくまでも少数派である。

京都大学、大阪大学、神戸大学といった関西の国立大学上位校がそれぞれ「募集形態の多様化」を錦の御旗にして推薦募集定員を増やして従来型の後期日程を廃止し、一般入試は自校を第一志望とする前期日程だけに移行していったのは自然な流れと言える。

 

1987年東大・京大ダブル合格者輩出高校ランキング

 

 

その延長線上で、もうひとつの学内の不協和音の元であった二部(夜間主コース)問題について、岡山大学も外科手術を行うことになったと想像する。

京阪神の私立大学でトップ校というと今も昔も関関同立の4校であるが、かつては関西学院大学を除く3校には夜間部があった。

というより、立命館大学や関西大学など、いわゆる法律系の私立大学は夜間部のほうがそもそもの母胎ともいえる。発足時これらの法律学校は資金力がなかったため専任の教員は殆ど雇用できず、そのかわり新設された京都帝国大学の教授陣や京阪神の法曹専門家を主に夜間の兼任講師として迎えることで自校の経営と高い教育の質を両立させていた。今でも京阪神の一流私立大学の非常勤講師の相場は授業1コマならば月4万円ほどだという。それ以下の大学だともっと安くなる。本職ならとても食っていけない金額だが、安定した本職が別にあるならば、教授同士の個人的な人脈で格安で優秀な講師を引っ張ってこれる。旧制大学時代はこれらの学校の経営の屋台骨を支えていたのは少数派の昼間部の学生ではなく、学生の大半を占めた夜間部や夜間専門部の学生と講師陣である。それが戦後になり大学紛争沈静化後の度重なる国立大学の授業料値上げと私学助成によって大学がキャッシュリッチとなった今では、夜間学部の役目はもう終わったとばかりにその定員を次々と昼間の新設学部に振り替えて、今では跡形もなく消えてしまっている。

いっぽう旧商大の夜間部として伝統のあった神戸大学、すでに大阪公立大学に再編された大阪市立大学の夜間主コースも廃止されて久しい。国公立大学の大学法人化と文科省の助成削減は研究力の低下を招いていると批判されているが、その環境下で生き残りを模索する各国公立大学にとって、夜間主を維持することのデメリットとメリットを冷徹に比較して、ソロバンをはじいたのであろう。そこには、当然「霞が関の意向」が働いているのは間違いない。全国で教員養成学部のゼロ免課程が閉店ラッシュとなり、かわりに地域創生系のキラキラネームの学部が雨後の筍のように大量生産されたと思ったら、今度は全国の地方国立大の各学部で学科を廃止して1学科多数コース制への移行である。その副産物のように夜間主コースの閉店ラッシュが続いている。これで中国地方の社会科学系の国立大学で夜間主コースを維持しているのは広島大学1校となる。筆者も知らなかったが、すでに近畿地方では最後まで残っていた滋賀大学の募集停止が決まっている。九州も最後の長崎大学が「教員の働き方改革のため」に廃止済であり、学生定員60名は大学当局により全然関係のない水産学部等の定員に振り替えられてしまった。四国は香川大学と愛媛大学の2校がまだ残っているが、西日本全体で社会科学系の国立夜間主コースは中四国のたった3校に減ってしまう。文字どおり絶滅危惧種である。

 

筆者は、二部・夜間主を完全否定する考えは持っていない。

個人的には、社会人駆け出しだった頃に当時まだ目黒にあった東京都立大学法学部で夜間主の講義を聴講したのを皮切りに、転勤に応じて何校か聴講をさせてもらった。

夜間でもフルタイムで通えるのは暇な役所勤めの人間に限られるだろうが、アラカルトで特定の講義だけを受けるにはコストパフォーマンスもよく、教育のリカレント化という観点ではとてもいい制度である。

であればこそ、今の国立大の夜間主コースの実態が社会人・勤労学生への教育機会の提供という本来の目的からずれつつあることに対して不満を禁じ得なかった。

このため、今回の岡山大学法学部・経済学部の決定については、正直来るべきものが来たという感想である。

 

 

 

山陽新聞web版より引用

 

>岡山大 夜間主コースの募集停止 26年度から、社会人学生が減少

 

岡山大(岡山市北区津島中)が法学部と経済学部に設置している夜間主コースの募集を2026年度から停止することが7日、同大への取材で分かった。日中に常勤で働きながら学ぶ社会人学生が減少したのが理由といい、岡山県内の大学で唯一の夜間コースは約半世紀の歴史に幕を閉じる。

 夜間主コースは、1980年度に「法学部第二部」「経済学部第二部」との名称で日中に働く社会人の学びの場として創設した。2004年度にコースに改組。これまでに約3500人を輩出している。

 当初は社会人学生が中心だったが、高校生の大学進学率の向上やオンライン教育の普及などを背景に社会人の入学が徐々に減っていた。現在は高校生の受験が中心で、入学後に常勤で働いている学生は1割に満たないという。

 25年度入試の夜間主コースの募集定員は法学部20人、経済学部40人。同コースを募集停止する26年度からは新たに昼間コースで社会人選抜を行うこととし、職歴が3年以上ある21歳以上(26年3月31日時点)を対象に書類審査や面接などでそれぞれ若干名を選考する。

 同大は「昼夜別々だった教育プログラムを見直し、多様な学生が共に学ぶ相乗効果を生み出していきたい」としている。

 

(2024年06月07日 22時10分 更新)